サバイバーの二階、春日の寝床兼アジトとなっている部屋に深刻な表情で立ち尽くしているのは紗栄子とだった。今、二人の視線は畳の上に置かれている一枚のDVDに向けられている。簡易的なプラケースには、DVDのタイトルらしきものが油性ペンで書かれていた。
 紗栄子がポツリと口を開く。
「人妻の溜息、隣人からの妖しい誘わ──」
「さっちゃん」
 が思わず制止すると、紗栄子はハッと我に返って「う〜」と眉間に皺を寄せた。
「信っじらんない!私達そろそろ部屋の掃除しようかって何日か前から言ってたよね。こういうの見るなとは言わないけどさー、押し入れ開けてすぐとかそんな分かりやすい場所に置く?」
「隠してる感じでも無かったね」
「一番、人妻好きだったんだ……」
 どことなくショックを受けてる様子の紗栄子に、は声を掛ける。
「でもここにはDVDプレーヤーも無いし、結局皆の荷物置き場になってたりするから、春日さんとは限らないかもしれないよ」
「あ、確かに!そうだ、さっきナンちゃんが昨日はここで皆で飲んだんだーとか言ってなかった?」
 そう言われると部屋の中にはまだ昨夜のアルコールの匂いがかすかに残って漂っているような気がした。となると、男性陣全員に可能性があるのではないか。
 紗栄子もも、今やDVDの発見から受けた衝撃より、一体これの持ち主が誰であるのかという好奇心の方が大きくなっていた。すると紗栄子は腰を屈めて、畳の上に置いていたDVDを拾い上げる。
「決めた。これは持ち主を突き止めて本人に返しましょう」
「ええと。元の場所に置いておくって手もあるよ」
「それだと反省はしないでしょう?これからもしばらく一緒に行動していくんだし、お互いに最低限の配慮ってものは必要だと思うの」
 紗栄子の言葉には成る程と頷けるだけの説得力があった。としても、見て見ぬふりを続けるのはやりづらいものがある。
 ──階下から誰かが笑うような声が聞こえてきた。
 彼女らは先程二階に上がってくる時の彼らの反応を思い出しながら、首を傾げる。
「んー……、でも私達が掃除してくるって言った時誰かおかしな反応してたかなあ。、気が付いた?」
「全員の様子を見てたわけじゃないからなんとも」
「そっか。とぼける可能性だってあるわけだし、そうなると反応を見るにも人数は絞った方がいいわね」
 名探偵さながら呟く紗栄子に対して、は今更ながら話の流れが思わぬ方向へと向かっている事に気が付いて、焦りを感じ始めた。
「もしかして直接聞こうとしてる?」
「当然!そうだ、一番がよくその日メインで動くメンバーと、サブのメンバーとで分けるでしょ?、今日はどっちって言われてた?」
「私は今日はサブ」
「ああ、昨日メインでたくさん歩かされてたもんね。私は今日ナンちゃんと足立さんとメインの方だからー……」
 の嫌な予感が大きくなる。すると紗栄子はニコッと悪戯っぽい笑みを見せ、の肩を叩いた。
「よしっ。面倒くさそうな方はに任せた!」
「わ、私もどちらかと言えば春日さん達の方が聞きやすいんだけど」
「大丈夫大丈夫、だったらあの二人相手でも聞けるって。何か面白い事になりそうだし、あとで結果は教えてね?」
 既にこの状況を楽しんでいるらしい紗栄子の愛くるしい笑顔に、結局は押し切られてしまった。


 + +


 春日が言うには、その日の“メンバー”はレベル上げの進捗や遭遇する敵との相性で決めているのだとか。
 ──というのは、話半分で聞くとしてもだ。
 街で聞き込みなどする際に、あまり大人数でぞろぞろと動くのは得策では無いとも思っていた。特に今はこれと言った共通点が見受けられない、よく言えばそれぞれ個性的な面々が集っている事で、余計な注目を集める可能性も考えられるからだ。
「ええ、了解しました。こちらからも何か進展があったら連絡します」
 通話を終えると、ハンは再びスマホをしまいながら趙とに顔を向けた。
「ベイサイド通りで一匹。裁判所の敷地内で見つけたそうですよ」
「思ったより早いね。これで残りはあと何匹になるんだっけ?」
「依頼にあったのは九匹、現段階で見つけたのは三匹なので残りは六匹ですね」
「六匹……、先は長いにゃあ……」
 本日の散策は、“バイトヒーロー.com”の依頼である猫探しを目的としていた。
 春日を中心としたメインのメンバーは彼の指示で途中交代する事もあったので、サブメンバーも基本的には同エリアか近隣のエリアで猫探しを行う。趙とハン、が今いるのは、神内駅北エリアのバッティングセンター前であった。
 隣のサッカー場に子供たち何人かの姿があり、生き生きと楽しげな声が届いてくる。その様子をぼんやり眺めている趙に、ハンは少し困ったように眉を顰めた。
「あの、我々も探しませんか。猫」
「猫って本来自由気ままな生き物じゃない?放っておけばそのうちふらっと戻ってくる思うよ」
「そんな身も蓋も無い事を言われても」
「それより、気にならない?」
 そう言って。趙は彼の正面に立つハンにだけ分かるようにこっそりと、背後を示すような目配せをした。
 そこにはが、心ここにあらずといったように難しい顔をして立っている。どうやら先程の彼らの会話すら耳に入っていないようだった。
「俺としてはさー、こっちの猫ちゃんの方が気になっちゃって気になっちゃって」
「猫、ですか」
 含みある返答をしたハンの考えをどこか見透かすかのように、趙は軽く顎を持ち上げて彼を見た。
「ひょっとして例えるなら猫じゃなくて犬派だった?それとも何か、別の動物とか」
「──いえ。ただ改めて、貴方は気にかける女性に対してそういうスタンスなんだなと。横浜流氓の頃は、そういったパーソナルな面まではあまり分からなかったものですから」
「何のお話ですか?」
 そこで背後から声を掛けたのはだった。
 趙とハンは一瞬動きを止めるも、改めて振り返りながら、何事も無かったかのように彼女に対して応じた。
「春日さん達から連絡があって、猫がベイサイド通りの方で一匹見つかったそうですよ」
「!そうですか、よかった」
ちゃんにしては珍しくぼうっとしてたね」
「ごめんなさい、猫を探さなきゃいけないのに、お二人に任せてしまって」
「気にする必要はありませんよ。あとちなみに、猫を探してたのは“お二人”ではなく、私です」
「へぇー、なにそれ面白い。昨日飲んだ時も思ったけど案外そういう冗談とかも言うんだ」
「冗談ではなく事実ですが」
 しれっと言う趙にハンは呆れた眼差しを向ける。元々の関係性から思えば、ある意味親しげとも取れるような彼らのやり取りを見て、は口を開いた。
「昨日は皆さん、お店で大分飲まれたんですか?」
「そうでもありませんよ。春日さんが寝てしまったのであとは自然とお開きに……」
「あ、いえ。私が言ったお店っていうのは、サバイバーではなくてその前のキャバクラの方です」
 一瞬。趙とハンの動きが止まった、ように見えた。
 とて何の下調べも無しに来たわけではない。DVDが置かれていたのが飲み会後の部屋の中、となれば、当然その前後の足取りくらいは調べてくる。あわよくばその過程で今回の犯人が判明すれば──という目論見までは叶わなかったものの、キャバクラという店の特性上、各々の女性の好み位はさり気なく聞き出せるのではという算段があった。
「皆さん、楽しく飲まれていたという話を」
「──昨日……、行ったっけ?」
「行きましたかねえ……」
 なので。にとっては、本題に入る前のこの“抵抗”は予想外の事であった。
「俺は大分飲んだからなぁ……。ちょっとその辺り記憶が定かじゃないというか」
「量は多くないですが、そこそこアルコール度数の高いお酒でしたからね。無理もない話です」
 会話の中に不自然な間も無ければ、互いに目配せするような気配すら無い。今趙とハンがの前で咄嗟に話を合わせ、嘘を吐いているのは間違いないのだが、彼らの様子からそんな事は微塵も感じられなかった。
「(店に行った事自体は間違いないはずなのに、どうしてわざわざこんな嘘を)」
 おかしな様子こそないが、気のせいか、早くこの話題を終わらせようとする僅かな圧のようなものは感じ取れる。彼らの態度にかえって疑念を深めたは、再び口を開いた。
「“凛凛”のお酒は、フードメニューに合わせたものを揃えてるらしいですね」
「へえ、そうなんですか。そういった拘りは関心しますし、興味がありますね」
「あそこは中国パブだから、紹興酒なんかも置いてあるんだよ。流氓(うち)にも贔屓にしてる奴が多かったっけ」
 敢えてが具体的な店名を口にするも、話題を露骨に逸らすでもなく、しかし核心には触れずに受け流す。これが春日やナンバ、足立相手であれば、少しくらい慌てる素振りなどみせてくれそうなものを、この二人は顔色一つ変える事がない。
 にも、神室町で長い間花屋の元で働いてきた自負がある。こうなれば彼らから何としても情報を引き出したい彼女は、自身の顎先を軽く触りつつ思案した。
 もう直接聞いてみるか。たしか、タイトルは──。
「人妻の……」
 ──ブルッと、スマホが振動する。
 図ったようなタイミングに思わず心臓を跳ねさせたが慌てて取り出して見ると、それは紗栄子からの着信だった。彼女は彼らには見られないように画面を隠し、声を掛ける。
「すみません。少し話してきていいですか」
 問題ないと頷くハンにいってらっしゃいと手を降る趙。そんな彼らに背を向けて、はその場から少し距離を取るように離れた。
 そして、が通話を始めた様子を見届けて、趙は静かに手を降ろすと。
「……ヒトヅマ、って言った?」
「そう、聞こえましたね……」
 最後にが残した呟きに対して、当然の疑問を口にする。
 するとすぐ通話を終えた様子のが、小走りで戻ってきた。彼女はなぜか少し青ざめた顔で彼らに告げる。
「あの、今の連絡はあちらのチームからで……お二人も、一度サバイバーに戻ってもらえませんか」
 その思わぬ展開に、趙とハンは顔を見合わせた。


 + +


 サブのメンバーが到着した頃、サバイバー二階のアジトには既に別動隊で動いていた春日達の姿があった。
「あ、来た」
「さっちゃん、これは」
 腕組みする紗栄子の前、春日達三人が居心地悪そうに正座させられている。状況が掴めず戸惑うに、春日が身を乗り出して声を出す。
!お前からもさっちゃんに説明してやってくれよ、俺達は無実なんだって!!」
「こらそこっ、勝手に正座を崩さない!」
「ひゃい!!」
 紗栄子に言われた春日が再びピシッと姿勢を戻す。
 その様子を見るなり、達が戻ってくるまでに大分絞られているようだ。一方、ここに来るまでにから事情を聞いてきた趙とハンは、部屋の戸口近くに立ったまま哀れな姿の三人を見下ろした。
「で、結局誰が持ち込んだDVDだったの?俺はさ、こういう共同スペースにそういうものを持ち込むのは、マナー違反だと思うなぁ」
「それに、呪いのDVD……でしたか。言い訳をするにしても、もう少し考えられた方がいいんじゃないですかね」
「こんっの、裏切り者が!言っとくが、お前ら二人も容疑者には変わりねえんだぞ!?」
 足立の訴えにより仲間割れが始まるかと思われた矢先、唯一静かに俯いていたナンバが小さく口を開いた。
「でまかせなんかじゃねえ。俺がホームレスやってた頃に実際に体験した話だ」
 その静かな語り口に、部屋の中にいた面々の注目が集まる。
「以前、同じホームレスの知り合いにそのDVDを持ってきた奴がいてな。なんとかしてTVとプレーヤーを揃えて、鑑賞会をしようって事になったんだよ。TVは古いブラウン管を持ってる奴がいたが、プレーヤーがな……。配線も揃って捨てられてるのをようやく見つけた時は、奇跡が起きたんじゃないかって」
「そういうのはいいから。結局ナンちゃんもエッチなやつ見たんでしょう?」
「み……、見た。でも何も映ってなかった。真っ暗な画面だけだったんだ」
 あまり思い出したくない記憶なのか、ナンバは言葉を絞り出すようにしていた。
「ところが、最初にDVDを見つけた奴だけがまるで化け物でも見たようなでっけえ叫び声を上げて、出てっちまったんだよ。他は全員何が起きたか訳が分からなくってな、結局その日は解散になったんだが」
 段々と嫌な気配を漂わせてきたナンバの話に、部屋の空気もつられるように重くなる。ナンバはふうと息を吐いた。
「結局そいつは戻ってこなかった。あれ以来この異人町で姿を見かけた奴もいねえ」
 春日が口の端を僅かに引きつらせながら問い掛ける。
「偶然なんじゃねえか……?そ、それかそいつのドッキリとか!ほら、お前らがスケベ心出すもんでからかわれたんだよ」
「その可能性もあるさ。けどその肝心のDVDがどこにも無くなってたんだよ。それであいつがおかしな事を言ってたのを思い出したんだ。あいつはDVDを拾ったんじゃない、気付いたら"あった"って言ってたんだ」
 ナンバが顔を上げると、その真剣な表情に、紗栄子は腕組みしたまま思わず後退った。
「DVDはまだあるのか?悪い事言わねえから、中身を見るのはよした方がいい」
「押し入れの布団の上に置いたままだけど……。や、止めてよね〜。ナンちゃんが誤魔化すために言ってるだけじゃないの?だって呪いなんて」
「何もありませんね」
 その声に視線を向けると、いつの間にか押し入れの前に立っていたハンがそこを開いたまま、皆に中が見えるように身体をずらしつつ振り向いた。
「それらしいものはありません。私達以外がこの部屋に入った可能性は?」
「いんや。マスター達は営業中で店にいたし、俺達もさっき戻ってきたばかりだぞ。誰もそこには触ってねえ」
 足立が首を振って応えると、背筋にぞわぞわと寒気を走らせた紗栄子は自身の身体をガバッと両手で抱えた。
「いやぁー!私ちょっと触っちゃったんだけど!ねえ大丈夫!?呪われないかな!?」
 騒ぎ出す紗栄子の足元で、足立がナンバの事をこそっと肘で小突く。
「へへ、うまくやったな。まあベタっちゃベタだが、なかなかよくできた話だったじゃねえか」
「いや嘘じゃねえっつの!」
「おい、結局どっちなんだ……?」
 春日が、足立とナンバのやり取りに困惑した表情で加わる。
 はそんな皆の様子をしばらく黙って見ていたが、背後から肩に手を置かれ、ビクッとそちらを振り返る。
「こういうの、苦手?」
「いえ、そんな」
 そこにいた趙からの問い掛けを反射的に否定しようとして、しかし、は途中で思い直すように言葉を区切った。
「苦手です。信じる方なんですよ」
「へえ、そうなんだ。ちゃんって普段は冷静なイメージがあるから、わりと意外かも」
「こういうのが好きな方に、色々連れていかれた経験があるので……」
 他には信頼のおけるとある当事者から以前にも似たような話を聞いた事があるというのも理由だったりするのだが、神室町での出来事を自ら話すのは躊躇われたので、はそこは伏せる事にした。
 するとは趙の表情の変化に気が付き、眉間に皺を寄せた。
「そうやってニタニタと……」
「これは、またちゃんの新たな一面が知れて嬉しいなと思って。そうだ、今ちょうどそんなちゃんにオススメのとーっても面白い映画がうみねこ坐でやってるんだけど、一緒にどう?出来ればレイトショーで」
「絶対ホラーじゃないですかっ」
 趙にからかわれるが言い返している所に、押し入れを見ていたハンが戻ってくる。
「何か楽しいお話ですか?」
「楽しいというか。ハンさんも全く平気そうですね」
「この辺りではコミジュル自体が怪談スポットになっていたりしますからね。言うなれば我々が幽霊側のようなものですから」
「そういうものですか……」
 すると先程まで一緒に散策していた面々が固まった事で、はふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば、結局DVDと関係なかったのであれば、キャバクラの件はどうしてお二人とも濁されたんですか」
「……ん?」「……はい?」
 事が一見落着したかのようなタイミングで気を抜いていたからか、今度は彼らも揃って分かりやすい反応を示す。誤った情報を掴んでしまった可能性も考えていたは安堵した。
「あ……、でも私が探るような言い方をしたからですよね。失礼な真似をしてしまってすみません」
「いえ、。私達があのような言い方をしたのは、そういう理由では無く……言わば、男性としての性(さが)というものでして」
「あぁ〜分かるよ、あれだけはしゃいでたら隠したくもなるよねえ」
「なっ……、貴方には言われたく無いですねえ!」
 彼らのやり取りを聞くに、が掴んでいた情報よりも昨晩は余程“楽しい夜"であったのだろう。
 色々な出来事が積み重なり、すっかり忘れられている猫の鳴き声が窓の外からにゃあと聞こえた。