「あ。お店の子から連絡きてたみたい」
 春日が言うところの、“レベリング”に訪れたいつもの地下道。既に出口も近く、周囲に敵の気配も無い中、紗栄子が自身のスマホを見ながら言った。
 そして、手慣れた様子で返信を終えた彼女は、ふと思い付いたように続ける。
「そう言えば、ここって地下なのにどうして普通に電波繋がるんだろうね?」
 その誰に言うともなく投げ掛けられた疑問に対し、一番乗りで返したのは足立だ。
「地下なのにって事はないんじゃないかぁ?地下鉄だって普通に電波は繋がるだろ」
「地下鉄は公共交通機関ってやつなんだし、その辺ちゃんとしてるのは分かるわよ。でもいまだに地下にあるバーとかだと繋がらない所もあるし、ましてこんな滅多に人が来ない地下道で設備を整えておく必要ってある?」
「確かに。俺達が勝手に出入り出来るくらいだし、ここって普段は使われてねえよな」
 そうしてナンバも紗栄子の意見に乗ると、それまで会話を聞いていた春日は頭を掻いた。
「俺も今使ってるスマホなんかは足立さんから貰ったやつで、元々詳しくねえしな。というか、そんな事は気にした事も無かっ」
『──おともだちがきたよ!』
 そこに突然響いた元気な声に、皆の注目が集まる。
 その声の発生源であるらしいは、自身のスマホのスピーカー部分を抑えながら僅かに顔を赤くしていた。
「ごめんなさい、切り忘れてました」
「あ。それが最近よくやってるゲームでしょ」
 紗栄子の言葉に頷くを見て、趙が指先で自身の顎ひげをなぞるようにしながら興味ありげに声を出した。
「おともだち?」
「オンライン要素があるゲームで……、テストプレイヤーとして参加してるので通知がくるようにしてるんです」
「テストプレイヤー……すると、アルバイトか何かですか?」
 ハンが尋ねると、はほんの一瞬躊躇うような間を置いて答えた。
「いえ、ニックさんから頼まれて」
「「「ニック!!?」」」
 そこで重なった驚きの声が、地下道に反響した。


 + +


 がニックにテストプレイを依頼されたのは、街づくり系の箱庭ゲームアプリであった。システムとしては定番のものだが、ゲーム内では彼女らにとっても馴染みのある都市がリアルに再現されている。
 春日らは、話の流れで実際にゲームプレイを披露する事になったの手元を覗き込んでいた。
「今私のキャラは神室町で働いているんですけど。この、声を掛けてきてくれてるキャラがニックさんです」
「本当だ、ちゃんと見た目も似せてるな」
 ゲーム画面上。初期状態からほとんど弄った様子の無いの女性アバターに対し、ニックのアバターは現実の彼に近い姿に作り込まれていた。
 感心する足立の隣から、ナンバはに向かって訝しげに声を掛ける。
「にしても、いつの間にこんな事頼まれてたんだ?とニックのおっさんなんて、ほとんど接点無いだろ」
「この前春日さんに株主総会を見学させてもらった時に、たまたまお話したんですよ」
 は少し嘘を吐いた。
 たまたまとは言ったが、実は春日に“ニック・尾形”という存在を聞いた彼女の方から意図的に接触を試みたというのが正しい。ニックの名は神室町で情報屋をしていた時からリストの中に何度か見掛けていた。自身が今調べている件に直接関係してくるかはともかく、可能であれば関係を築いておくべきだと思ったのだ。
 初対面の挨拶から間もなく食事に誘われた時は内心焦ったが、そこからすかさずゲームのテストプレイヤーという程よい距離感の繫がりを提案してきてくれた事については、元々女性慣れしたニックの手練に助けられたと言わざるを得ない。
 出来ればこの話題に関してはあまり深堀りをされたくないの意に反して、その意外性もあってか仲間達の関心は思った以上に大きかったようだ。彼女は皆に囲まれながらすっかりスマホをしまうタイミングを失っていた。
「あの、もう出口も近いですし、どうせなら上に出てから」
「そもそも、ちゃんってゲームはするの?」
 の言葉を遮るように声を掛けてきたのは趙であった。彼女が視線を向けると、彼は笑みを浮かべたまま続ける。
「なーんかイメージに無いんだけど。今までそういう話した事無かったでしょ」
 趙は勘の鋭いところがある。ニックとが接触した経緯を聞いて、何か違和感のようなものを感じ取ったのかもしれない。
 しかし、そこはも見くびらないでほしいとばかりに返す。
「そういう事は、バーチャロンで私に一度でも勝ってから言ってください」
「あ、それ最高」
 すると趙が脚を伸ばしてとの距離を詰めてきた。思わず身構える彼女を庇うように、春日が趙の両肩を持って引き留める。
「おい!急に真顔で迫ったら怖えだろ!」
「怖いだなんて心外だなぁ……。気になる子の新たな一面にときめきを覚えるって誰にでもある事じゃない」
「バーチャロンで何のスイッチを入れてんだお前はっ」
 そんな中、紗栄子は厳しい眼差しを春日に送る。
「そもそも、一番がしっかりガードしてなかったせいでがまた変な男にちょっかい出されちゃってるんじゃない」
「そ、それは大袈裟だろ。何もニックだって下心があってに頼んだわけじゃねえだろうし、ゲームくらいなら健全じゃねえか」
「そうとも言いきれませんよ。春日さんはチャット機能はご存知ですか?」
 ハンからの問いにきょとんと目を丸くした春日は、彼が指先で示すのスマホを改めて覗き込んだ。
「“今日も会えて嬉しいよ、私のベイビー”……って、何だこりゃ!?これ、ニックが打ってんのか?」
「この様子だと、おそらくこのメッセージが初めてではないでしょうね。そうでしょう?」
 一見穏やかそうな物腰で語り掛けてくるハンに謎の圧を感じつつ、は頷く。
「でもニックさんの場合はこれが通常の挨拶みたいなものですから、そんな気にする事でもないかと」
はこういう時どう返してるの?」
「こういう時は……」
 紗栄子に促されて、は自身のアバターを操作してみせる。がトトッと指先を動かすと、画面の中の彼女はニックのアバターに向かって丁寧な礼をした。
「こんな感じで、お礼をしてみたり」
 すると腕組みをした足立が眉を顰める。
「ああ、これは……、男側はつらいな」
「えっ、駄目ですか」
「俺にも分かるぜ。キャバクラで狙ってる子からどうにかポイントを稼ごうと馴れない絵文字なんかを使って試行錯誤メールをしたら、明らかな営業文で返ってくるやつだろ」
「あ、それ解決方法教えようか?ナンちゃんはね、お店に行く時にもっと高ーい時計とか付けていった方がいいと思うの」
「くそっ、結局金かよ……!」
 そうして話が僅かに逸れつつある中、趙がぽつりと呟いた。
「しぶとい」
 その言葉に反応して皆が再び画面に注目すると、今度はニックのアバターからハートマークが飛ばされていた。比較的あっさりしたの対応にも一切めげない彼の様子を見て、春日はバツが悪そうに頭を掻く。
「なあ……、あまりしつこいようだったら俺の方からそれとなくニックに言っておくからさ。お前が無理に相手する必要は無えからな?」
「!そんな、大丈夫ですよ。私もゲームは楽しんでますから」
 折角作ったニックとの接点が無くなってしまっては困る。思わずが慌てた時、手の中のスマホからポッと小さな音が鳴った。
「…………“ななはわ”?」
 そこに新たに表示されていた謎のメッセージをが口にすると、今度ニックのアバターはその場で方向転換をしたりジャンプをしたりと、一見あまり意味の無さそうな動きをし始めた。の隣から画面を覗き込んでいた紗栄子も、不思議そうにして問い掛ける。
「これって何してるの?」
「何してるんだろう」
 ハンが顎に手をやり考えるような少し素振りをみせ、口を開いた。
「おそらくあちら側のプレイヤーが変わったのでは。取り敢えず色々な操作を試しているように見えます」
 言われてみると、先程までと違ってその動きはどことなくぎこちない。今までこういう事がなかった為、どう対応すべきかが戸惑っていると、春日が閃いたように言った。
「そういやテレビのほのぼの映像で見た事あるな。親が席外した時に、赤ん坊が勝手にスマホ触っちまうってやつ」
「うそ、ニックって子持ちなの!?」
 紗栄子が驚き反応すると、皆が春日の発言について考え始めた。やや飛躍した感はあるが、しかし元々ニック自体が謎めいた人物であるがゆえに、誰もその可能性を否定する事が出来ない。以前から知るでさえも、彼の私生活については何も聞いた事が無かった。
 好奇の眼差しが向けられる中、ニックのアバターはなぜか動きをぴたりと止めていた。ナンバがに声を掛けた。
「もう直接聞いてみればいいんじゃねえか?からもメッセージは送れるんだろ」
「そうですね、そうしてみ……あ、今私の方が接続切れちゃったので入り直してからにします」
 が再ログインを試みている様子を見て、その間を繋ぐかのようにハンが口を開いた。
「そう言えば、どうしてここは電波が繋がるのかという話ですが……この地下道に関しては、我々の中にも詳しい方がいるじゃないですか」
 そうして、ハンから視線によって水を向けられた趙は軽く眉を持ち上げた。
「おお、そうか!ここは元々横浜流氓の地下牢から逃げた時に使ったんだよな。……ん?でもあの部屋で俺が試した時はスマホの電波は繋がらなかったような……」
「そんな都合よくあの部屋だけ繋がらないってあるか?そこんところどうなんだ、元総帥さんよ」
 ナンバに聞かれ、趙は肩を竦める。
「悪いけど、そもそも俺はあまりここ使ってなかったからね。そういう事なら馬淵達に聞いた方が詳しいんじゃないかな」
 その言葉を聞いて、足立が訝しげな表情を浮かべる。
「けどあいつらのボスだったんだから、施設の情報くらいは持ってるだろ」
「さあ……。でも仮に俺が情報を持っていて、何かしらの操作が出来るとしたら、ちゃんがさっき最初のメッセージを受け取った時点で電波は切ってると思うよ」
 趙の説得力ある言葉に一同が納得した所で、それまで懸命に画面と向き合っていたが安堵したような声を上げた。
「良かった、ログイン出来ました」


 + +


 『──おともだちがきたよ!』
 数日前にチェックインしたホテルの落ち着きあるスイートルームには場違いな、元気な声が響いた。
 三人掛けのソファーの中央に一人沈み込みながら、その長い脚を持て余すように組んでいた真島は、目線の高さに掲げたスマホを見ながら眉間に皺を寄せた。
「……おい、兄弟。これ、やっぱりお前が何か変な真似したんとちゃうかぁ〜?」
「ん?」
「相手の女。“ひょっとして、ニックさんのお子さんですか?”やて」
 背凭れの後ろにやってきた冴島に、真島は「ほれ」と画面を見せる。僅かに身を屈めてそこに表示されているメッセージを確認すると、冴島は困惑した表情を浮かべた。
「いや、俺はお前に言われて少し触ってみただけやで。おかしな事はしてへんはずや」
「まあええわ。ニックが戻る前に、代わりに返事しといたろ」
 何をどうするのかさっぱりであった冴島と違って、真島はいくらかは仕組みを理解している様子で操作していた。
「おい、勝手に……と、なんや、さっきはお前もこのゲームは触った事無い言うてなかったか」
「ゲームなんぞ、どれも取り敢えず動かしてみたら分かるように出来てんねん。俺もこれとジャンルは大分違うが、メスキングでは桐生ちゃんとしのぎを削ったもんや」
「……よう分からんが、桐生もお前も色々やっとるな」
 話す間にメッセージを打ち終えた真島は、それを相手に送信した。
「“いつも父がお世話になっています”、と。よしよし、これでええやろ」
「知らんで、ニックが戻った時にどやされても」
「俺はこの名も知らぬ女を、ええ歳こいてスケベ心出しとるおっさんの魔の手から救ってやっただけやで?」
 真島はスマホをソファーに放ると、背凭れに寄り掛かりながら頭の後ろで両手を組んだ。そのまま何かを思い出そうとするように天井を見る。
「えー……、何やったっけ。相手の……」
「”ミステリアスビューティー”やろ。何度も聞かされて覚えてもうたわ」
「それや」
 すると今度は背凭れに片肘を置いて、背後に立つ冴島を見上げるように顔だけ振り返る。
「上手い事かわされて、結局名前くらいしか教えてもらってないらしいで。ようそれでこんなわざわざ手間掛かる真似までして追っ掛け回せるわ」
「ビューティーやからな、よっぽど見た目が好みか……そう言えば、結局ニックから写真は見せてもろたんか?」
「俺がんなもんわざわざ見るわけ無いやろ」
 心底くだらないとばかりに吐き捨てた真島の言葉を受けて冴島はふっと小さく笑った。それに対して真島が「あ?」と問い返せば、冴島は再び口を開く。
「いや、少し前まで顔も名前も分からん女に御執心やった男がよう言うもんや思てな」
「はて、そんな事あったか?」
 真島は惚けるように言ってから、斜め下に視線を落として、スマホの画面を見る。しばらくして彼は目を薄めると、チッと舌打ちをして再びそれを手に取った。
「おいお前、また勝手に」
「段々この女にも腹立ってきたわ……こんな見え見えの手に引っ掛かるなや……!」
 ついつい誰かと重ねてしまった相手に今度は怒りのジェスチャーを送り始めた真島に対し、相手は、画面上のアバター越しでも分かるくらいたじろいでいた。