鶴亀街道裏の路地を曲がる時、目敏く何かに気が付いたナンバが僅かに腰を曲げた。彼はそのまま地面に落ちていたものを摘み上げると、前を歩く春日に向かって得意げに掲げた。
「見ろよ、一番。百円だ」
「おお、さすが。よく見付けたな」
 そして、キャッチ・アンド・リリース。ナンバはすぐ側にあった自販機にその百円玉を入れると、そこを指さしながら声を掛ける。
「お〜い、誰かあと二十円持ってるか?コーヒー奢ってやるぞ」
「それナンちゃんの奢りって言えるわけ……?」
「それじゃあちょうど飲みたかったし俺が貰うかな」
 ずいと前に歩み出た足立が残りの金額を入れ、取り出し口にカコンと落ちた缶コーヒーを受け取った。するとナンバは残る面々を呆れ顔で見渡す。
「勿体無いなあ、お前ら。折角少ない投資で得出来るチャンスだったのによ」
「俺、あまり小銭って持ってないんだよね」
「私もです。財布は持ち歩かないですね」
「あ〜、それって例のカードや電子マネーって事か?くそ、俺達にとっちゃ冬の時代の到来か……」
 ナンバが趙やハンと世間話をする内に、今度はふっと歩き出した春日が近くの建物と建物の隙間を覗き込んでいた。気が付いたは彼に声を掛ける。
「春日さん?」
「よっし、見っけ!こっちはコーヒー買えないけどな」
 振り返った春日の指先にあったのは、東城会の代紋だ。
 街のいたる場所に散らばっている代紋を集めると、浜北公園通り近くのホテルにいるカムロップがアイテムに交換してくれるのだ。カムロップの正体や目的に疑問はあるが、中には貴重なアイテムも多いため最近街を歩く時には気にするようになっていた。
 一同の輪の中に戻ってきた春日に、紗栄子が口を開いた。
「私それ見付けるの苦手ー。もっと光ったりしてくれればいいのにね。キラキラ〜って」
「いや、キラキラ〜ではねえけどさ。俺が入ったばっかりの頃はおやっさん達の胸にあるコイツが光って見えたもんだけどなあ」
 どこか感傷に浸るように手元を見る春日の横顔を、は見ていた。やがて彼は手のひらの代紋をぐっと握り込み、身体を起こす。
「なあ、今日は予定変更してさ皆で代紋探ししねえか?何となく歩きながら探すより絶対その方が効率良いって」
「そりゃあ俺達は地下通路に潜るより、そっちの方が助かるが」
 代表して応えた足立の同意に、他からも反論の声は上がらなかった。すると春日は張り切って拳を手のひらに撃ちつける。
「よし、決まり!会社にいるえりちゃんにも声掛けて、手分けしたらすぐだろ」
 こういう時の団結力とノリが良い一同は、春日の号令に合わせておーっと手を挙げる。
 そうして各々が「前にあそこで見た気がする」「いや他にも怪しい場所がある」など盛り上がって会話をする中、そこから静かに抜け出してきた趙が春日と自然に肩を組んだ。趙は何事かと見る春日の顔の前に、すっと二本指を立ててみせる。
「手分けしてって、この人数でしょ。組み合せはどうやって決めるつもり?」
「まだ決めてねえけど……、お前も大概自分に正直な男だよなぁ〜……」
「俺はまだ何も言ってないじゃない」
 趙は面白がるように言いながら、春日から離れた。
「ただ、春日監督には各々がベストパフォーマンスを出せる采配を期待するよ」
 プレッシャー掛けるとは、おそらくこういう物言いの事を言うのだろう。苦い表情の春日が様子を窺うように視線を送るも、趙の背後にいるは気が付かずにいた。


 + +


 が担当になったのは、浜北公園から中華街に掛けての比較的広範囲に及ぶ地域だった。よく晴れた穏やかな港に、この一帯のシンボルとされる大きな客船が停まっている。美しい景色を撮影する観光客らの姿も多く見られる公園内の芝生エリアにしゃがみながら、は背後に向かって声を掛けた。
「趙さんは、飯店小路付近の方じゃなくて良かったんですか?」
「いや、こっちでいいよ」
 を背後から見守っていた趙も、彼女の隣に同じくしゃがみ込んだ。
「あの付近だとどうしたって顔見知りがいそうだし」
「差し支えなければ、横浜流氓の方達とは今どういう感じなんでしょうか」
「親父からの代替りで元々俺の事を認めてなかった奴らはせいせいしてるみたい。新しい総帥は優秀だからね」
 趙はまるで他人事のように言って、続ける。
「ただこんな俺をまだ慕ってくるような物好きもいて、どちらかと言うとそっちの方が面倒くさい。そういう連中に限ってやけにテンション高い奴が多いから鬱陶しかったりするし」
 溜息混じりに話す彼に、は思わず小さく笑ってしまった。語る言葉のわりに、明らかな親しみが見て取れたからだ。
「人望があるのは良い事ですよ」
「人望って言うのかな……。ああ良かったら今度ちゃんにも紹介しようか。人相悪くて、ヒゲで、オールバックで調子のいい奴だけど──」
 趙はそこで一度はたと言葉を止めて、首を捻った。
「よく考えたら、結構俺と特徴が被ってんの気持ち悪ィな……」
「えっと……?」
「やっぱり紹介するのは少し待ってて。ちゃんに会う前に、俺の方からお行儀良くするように言い聞かせておくから」
 飯店小路の方で、誰かが大きなクシャミをした気がしたが──何はともあれ、まずは代紋探しである。
「中華街ではいくつ見付けたんだっけ」
「中華街でひとつ。公園に移動してくるまでにひとつで、今のところ二つです」
 は趙に見せるように、手のひらに代紋を乗せた。全く成果無しというわけではないが、これまでの探索時間に対してはやや寂しい結果である事は否めない。
「元々中華街の方では結構拾ってたし、仕方が無いんじゃない」
「そうなんですけど、もう少しどうにかしたいなって」
 先程春日もこうして代紋を手のひらに乗せていた。あの時遠い眼差しを浮かべていた彼と自分の気持ちは、きっと近いものなのだろうとは感じている。
 東城会。裏社会を生きる人々にとっては、知らぬ者などいない巨大組織だ。今まで何度危機的状況に追いやられようが、組織の拠点である神室町を中心に裏社会を牛耳り支配を続けてきた彼らが、まさかこのような幕切れを迎えるとは予想も出来なかった。
 は部外者であるが、関わってきた個人の顔を思い出すと心が落ち着きなく揺れるような感覚がある。だからこそ今彼女は神室町を離れ異人町まて来ているのだが、そうなるとこの代紋探しにもいくらか思うところがあった。
 趙は芝生の上に胡座で座り直し、の手からひとつ代紋を摘んだ。黒いネイルが塗られた指先でそれを斜めに傾けると、縁に太陽の光が反射する。
ちゃん探すのうまいよね。何かコツとかあるの?」
「コツと言えるかは分かりませんけど、地面に落ちてる時は何となく光ってるような感じがしませんか」
「そっかそっか……、ちゃんにも春日君みたいに見えてるのか」
 趙はゆったりと頷いて続ける。
「俺はまたものすごく鼻がよかったりするのかと思ったよ。これが落ちてるのを見つけた時のちゃん、急いで拾いに行く感じがワンコっぽいから」
「は、鼻がよくても何も匂いはしないと思います」
「いや、多分するでしょ。俺達がよく嗅ぎなれたやつが」
 趙が自身の鼻先を指でトントンと叩く。
 彼の言う通り、神室町から離れた地で散り散りとなり、倒れた組員達の無念の跡がこびりついているとするならば──。言葉に詰まるに、趙は目を薄くする。
 このような場面で敢えて動揺させるような真似はあまり好みではなかったが、純粋な興味はあった。
 流れに乗っての追求か、撤退か。彼は一考して。
「そこ、何かあるね」
 今日のところは急ぐ必要もない──、そういう判断を下した。
 趙が指差したのは、が手を伸ばせばすぐ届くような草むらの中だった。言われてみれば確かに何か光るものが見える。近過ぎて気が付かなかったのだろうと、彼女もそちらに身を乗り出し、そして。
「や、っ……!」
 短い悲鳴。はそこで一瞬止まると、趙が見守る中、またゆっくり姿勢を戻した。彼女は芝の付いた膝先をぱっぱっと軽く手で払って何事も無かったかのように口を開く。
「代紋では無かったみたいです」
「はは。残念、銀カブト〜」
「分かっていたなら、!」
 抗議の声を上げ掛けただが、見透かすような笑みを浮かべる趙と目が合うとうっと言葉を飲み込んだ。
「見間違いではあったけど銀はまあまあレアだったはずだし、春日君は喜ぶと思うけどなー」
「……趙さんお願いします。私、触れないんです」
 は観念してポツポツと話し出す。
「普通の虫はそこまでじゃないんですけど……、金とか銀とかってなると、あの光沢感が」
「ああ、それで。前に芝生に入った時に、反応してる時としてない時があったから、どっちなのかなって気になってたんだ」
「そういう時は直接聞いてくださいっ」
 するとの声に反応し、銀色のカブト虫も羽音を鳴らした。身体を強張らせる彼女をよそに、カブト虫はその場からゆっくりと飛び去って姿を消す。
「あら。行っちゃった」
「だ、大丈夫ですよ。今日は元々代紋探しですから」
 明らかに安心したように言ってから、は気が付く。
「探してました……よね?」
「俺?俺は、正直言うと六割くらい」
 趙は嘘は吐いてない。の所感でも、彼がこの代紋探しに掛ける本気度を表すならば、その位が妥当だろうと感じられたからだ。
 思えば、探し物をしているはずが中華街ではやけに視線が合った。今も公園の芝生で寛ぐ様は、他のピクニックをしている人々の姿と何ら変わりない。
「安心して。全く探してないってわけじゃないから」
「でも六割なんですよね」
「こう天気が良いとつい……。スナック街を任された足立さんあたりも、既に一杯飲んでる頃じゃないかな」
「それは確かに……」
 ちなみに足立はえりとペアを組んでいる。彼の調子の良さに、人の良いえりが押し切られている様子は、想像に難くない。
 趙の説を裏付けるように、も思い出した事があった。
「そう言えば自分からスナック街に立候補してたような」
「ホント、いいキャラしてるよ。おかげで俺も気兼ねなくちゃんとデートが出来るわけだし感謝しないと」
「代紋探しです」
 そこだけは譲れず頑なに言い返すに、趙は愉しげに笑った。
「さてさて……。あんまり不真面目にやって嫌われたくないし、俺もそろそろ本腰入れますか」
「場所移動しますか?」
「いや、ここでいい」
 趙の視線が後方にチラと流れたのを追ってがそちらを見ると、いかにもな出で立ちの強面集団が、顔を寄せて何やら話しているところだった。
 神室町に異人町。そこが大きなビルが建ち並ぶ界隈の道端だろうが、海に臨む穏やかな公園だろうが、あのような輩は不思議とどの町にも存在している。話し合いがまとまったのか、案の定ゆっくり距離を詰めてくる集団をよそに、趙は自身の服に付いた芝を指で摘んで取ったりしていた。
「何て声掛けられると思う?俺の予想だと、お前女連れで調子乗ってんなぁ、あたりかな」
「移動が必要無いっていうのは……」
「俺モテモテだから。芝生探すより早いかもよ」
 敵からの代紋のドロップ率は低く、偏りがある。が、落ちている数に限りがある以上、確かに方法としてはあり得る選択肢だ。
 今まさに背後から、趙の肩に男の手が掛かろうとしている。自身もいかようにも立ち回れるように足元に力を入れながら、男に対し、内心申し訳ないと謝罪した。


 + +


 各チームが持ち寄った代紋がサバイバーのテーブルに広げられていた。元々拾っていた分も含め、春日が改めて数える。
「ええと、これで50個って事は……よし、これでデリバリー権と交換出来るぜ!やったな皆!」
「ねえ。私達、何を何のために集めさせられてたの……?」
 紗栄子の力無い指摘に一同が大きく頷くほど、ほぼ丸一日を掛けて行われた代紋集めは思った以上に大変なものだった。
 春日がそんな仲間達の労をねぎらうようにまあまあと明るく言うと、流れはそのまま店での打ち上げへと移行する。
の方もか。俺もあいつが途中で姿消してよ」
「ナンバさんは、ハンさんとコリアン街周辺の担当でしたよね」
 はナンバと二人、カウンター席で肩を並べていた。そうして互いのチームの成果を話していた最中、ナンバが僅かに声をひそめる。
「俺があれだけ探してやっとひとつだったのに、涼しい顔して戻ってきたと思ったら急に五つだ。どこに落ちてたか聞いてもはぐらかされた」
「それならコミジュルの中って事も……」
「いや、途中から周りにいたガラの悪い連中の姿もごっそり減ってたし、おそらく趙と同じクチだろ。本当、ああいう奴らが味方でいてくれてつくづく良かったよな」
「ちなみに。正当防衛だからね」
 するといつの間にかナンバの背後に立っていた趙が、彼らに声を掛けてきた。それにギクッと大きく肩を揺らしたナンバは、振り返らずとも状況を察し、強張った表情での肩をポンと叩く。
。任せた」
 仲良くやれよご両人、と。ナンバがグラスを手にその場からそそくさと離れると、趙が不貞腐れたような声を出す。
「別にそのままいりゃいいのに。俺、ナンバ君を怖がらせたつもりとかねえんだけど」
「背後から声を掛けていなければ、多分大丈夫でしたね」
 ナンバに代わっての隣に座る趙。彼はカウンターテーブルにひとつ残っている代紋に視線をやる。
「この代紋っていうのも、特有の文化だよね」
「横浜流氓には似たようなものはないんですか」
「好きでタトゥー入れてる奴とかはいるんじゃない。そうだ、ちゃんは星龍会のは見た事ある?あれモチーフは巴紋だと思うんだけど……、波が立ってるようにも見えるやつ」
「あ、やっぱり波なんですか?私も海に面した土地柄と合わせてるのかなって」
「いいや、俺の憶測。本当のところはどうなのか、星野会長に聞いておけばよかったな」
 趙はテーブルの代紋を指先で持ち、しげしげと見た。
「そうして、何かしら意味が込められたものと考えると興味深いよね」
 一瞬。カウンター奥に立つ店のマスターが、彼らの方に視線を寄越した気がした。
 東のくずし字を囲む、上がり藤に似た意匠。上がり藤とは一族繁栄にあやかったものと聞く。今の東城会の状況に照らし合わせる皮肉だ。
 その時、趙のスマホの通知音が短く鳴った。彼はテーブルに代紋を置くと取り出したスマホを操作し、眉間に皺を寄せる。一体どうしたのかとが視線で問うと、彼は彼女に画面を向けた。
「さっきちゃんに話した奴から」
 そこにはメッセージアプリの画面が埋まるほどにびっしりと「光栄」や「何卒」だのと畏まった言葉が並んでいた。一目で詳しい内容までは読み取れなくとも、とにかく相手が趙に対しておそろしく気を遣っているのであろう事は伝わってくる。
 趙は溜息を吐きながらスマホを下げた。
「お行儀良くってこういう事じゃねえんだよなぁ……。頼んでねえのに、自分が店セッティングするとか張り切ってるし」
「何となくですけど……、いい人そうですね」
「いいやつだよ。いいやつなんだけど……、ここまで周りからの盛り上げに必死になられるくらい、俺って脈ナシに見えるわけ……?」
 趙が自身の額を押さえながら、珍しく自信なさげにそう呟いてた頃──相手も、既読が付いたまま一向に彼からの返信ない事に、何かしでかしてしまったのではないかと頭を抱えていた。