「ウコン錠、ウコン錠……」
 珍しくグロッキー状態で呟きながら、コンビニの棚を物色する。その足取りが危なっかしくふらつくと、春日は背後から彼女の両肩に手を置いて支えた。
「っと、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です、春日さんまで付き添わせてしまってすみません」
「いや、元はといえば俺がアイテムをチェックしてなかったのが問題っつうか。今度はには酒じゃなく、他のアイテムでMP回復してもらうようにするからよ」
 今のには春日が話すゲーム的な要素を含んだ話がいつも以上に頭に入って来なかったのだが、おそらくそれも酔いのせいなのだろうと感じた。
 そうする内にお目当てのウコン錠を棚に見つけては顔色を明るくする。どれだけひどい酩酊状態にあっても何度も救われてきたその姿を見ただけで、安堵感から自然と気が楽になったような気がした。
「何か食えそうなら、他の奴らと合流前に少し腹に入れとくか?俺が作ってやるよ」
「春日さんが?」
 レジに向かおうとするを、春日がニッと笑って呼び止める。
 正直彼女もすぐに何かを食べるような気にはならなかったが、彼が腕をふるってくれるという話には興味を惹かれるものがあった。対する春日はどこか得意げに、冷凍炒飯のパッケージを顔の横に持ち上げてみせる。
「と言っても、すぐ出来るのはこんなもんだけどな。これ、前足立さんに教えてもらって食ったらすげえ上手くてよ。俺が知らねえ間に冷凍食品って随分進化してたんだなぁ」
「あ、でも私も聞きました。炒飯なんかお店のみたいに美味しいらしいですね」
「そうそう!下手な中華料理屋に比べたら、本当これでいいかってくらいだぜ」
 興奮気味に目を輝かせる春日に思わず笑うと、は少し考えてから応えた。
「それじゃあお言葉に甘えていいですか?もし残してしまったら悪いので、よかったら春日さんと半分こにしてもらえるとありがたいんですが」
「半文こか……なんだ、その言い方。ちょっと可愛いな……」
「え?」
「!な、なんでもないっ!」
 に聞き返された春日は、冷凍炒飯のパッケージを掴んだままガサガサと音を立てて焦ったように手を振った。


 + +


 サバイバーのアジトに電子レンジが無かったのは盲点であったが、小さなガスコンロとフライパンだけでもお目当ての炒飯は驚くほど美味しく出来上がった。
 大きめにカットされた具材がごろごろと入っており、それでいて風味と出汁が効いていて、油っこさしつこさも無い。はじめは本当に食べられるかどうかを内心気にしていたも、小さなテーブルで春日と向かい合いながら、気が付けば彼と分け合った分をほぼ完食しようかというところだった。
 美味しい食事を前に和やかな時間が流れていく。

 ──それも、“彼”が現れる前までの話である。

「“本格炒め五目炒飯”、“旨さ圧倒、本場の味”」
 シンクに出したままであった空パッケージを手に、趙が読み上げた。
 状況的には、春日とが食事をしているところに買い物袋を提げた趙が現れただけ。それだけである。
 しかしなぜかその場の空気がピリッと緊張感を増したような──別の女性との浮気現場を恋人に目撃されたような──そんな感覚があった。
 趙は軽く頷いてパッケージをカサ……と落とすと、相変わらずのゆったりとした物腰で部屋の中に歩みを進めた。立ち止まり、食べ掛けの皿を前に固まる春日とを見下ろす。
「それ春日君が作ったでしょ」
 春日はギクッと肩を揺らす。
「よ、よく分かったな。まあ、作ったっていっても冷凍食品だしそのまま炒めただけだけど」
「袋の開け方が雑なんだもん。それにちゃんはさっき調子悪そうだったし、流れ的に?」
 趙は言いながら自分も床に腰を降ろす。
 その隣に無造作に置かれた買い物袋の中からは、ペットボトルの水やらが何本か覗いていた。がそこから視線を戻すと、テーブルについた片肘に顎を乗せた趙が、顔を傾けて彼女を見ていた。
「美味しかった?」
「お、美味しかったです」
「そう」
 感情の読めない笑顔でにっこりと微笑む趙。
 決して広くはない部屋の中が静寂に包まれる。この空気を切り替えようと春日はつとめて明るい声を出した。
「趙も食うか?ほら、俺のやつ分けてやるよ」
「折角だけどいいや。ありがとう」
「あ、そう……?」
 趙からやんわりと拒否されて、春日は軽く持ち上げた皿を行き場なく下げた。
 はこのまま固まっているのもどうかと思い、取り敢えず食事を続けようと、レンゲで皿の上に残っているものを集め始めた。
ちゃん、俺の炒飯はまだ食べた事なかったよね」
 “俺の”という部分が強調されているように聞こえたのは、おそらくの勘違いではない。えっと手を止めた彼女が顔を向けると、趙は両手を身体の後ろに付いて、いくらか自身の姿勢を緩めてから続けた。
「俺が作る定番のやつだと、結構具材はシンプルで、やっぱその分火力が大事になってきたりするわけ」
「ああ、それは聞いた事あるな。結局あの火力が無いと家では店の再現は難しいんだろ」
「まあ、それでもやりようはあるんだけどさ。難しいどころか、俺に言わせてもらうと別物だね」
 そこで一瞬、趙の視線が皿の上にチラと向けられた。
「また店の厨房でも借りられたら良かったけど、毎回は無理だし。包子(パオズー)とか点心の類はわりといけるから、ちゃんには結構そっちの方をごちそうする機会が多かったんだけど」
「お前、確かそういうのは作るの面倒くさいから買った方がいいって言ってなかったか?」
「あっはっは。やだなぁ、食べさせたい相手がいたら話は別でしょ。だからさ」
 朗らかに笑いながら身体を起こした趙は、そのままテーブル上に前のめりに腕を組んで。
「どうして俺より先に春日君が振る舞っちゃってるの?」
 春日を下から覗き込むようにし、一息でそう続けた。
 それは、無防備な喉元に突如刃物を突き付けられたような──趙からの視線によりそこをなぞる様に嫌な感覚が伝うと、春日はごくりと喉を鳴らす。そして直ぐ様、敵対心は無いと示すように両手を上げた。
「おいおい、大袈裟だろ。それにさっきも言ったけど俺が作ったんじゃなく、コンビニの冷凍だぜ」
「これが冷凍ピザとか冷凍パスタだったら俺も何も思わなかったと思うよ。でもごめんね春日君、炒飯に限っては俺も色々準備してたから、正直自分のオンナ寝取られた感じで滅茶苦茶ムカついてる」
「寝取ってはいねえよ!」
 一方は、あまりの展開に自分はどう動くべきなのか迷っていた。
 聞いている限りどちらも自分のためにしてくれた事が発端となっているのだが、なにせその一番の原因は“炒飯”。間に入ろうにも適当な言葉が思い付かなかったのだ。
 しかしこのまま傍観を続けるわけにもいかないと、は一旦皿を置いた。
「食事中に揉めるのはやめませんか」
 そう声を掛けたは、改めて趙の方に顔を向けた。
「お水と薬買ってきてくれたんですよね。それなのに気分を害するような事をしてしまってごめんなさい」
 の言葉に、趙が僅かに眉を持ち上げる。
 彼が持参した買い物袋の中にはペットボトルの水が数本と、よく見ると、先程がコンビニで購入したウコン錠と同じ箱も透けていた。おそらく酩酊状態で別れたの為に購入されたものである。
 彼女の謝罪を受けてしばし考え込むような素振りをみせた趙は、やがて何かを思い付きニッと笑みを浮かべるように目を細くした。
「じゃあ、俺にもちゃんの分の炒飯食べさせて。そしたら許してあげる」
「よかった、それくらいなら」
「ちゃんとあーんってしてね」
 は趙の提案に小さく呻いた。
「それ……、楽しいですか?」
「ああ、楽しいねえ。ちゃんがそういう顔してくれるから最高に楽しい」
 彼らのやり取りを見ていた春日が、渋い表情で言った。
「さっき俺が食うかって言った時はいらねえって言ってたくせに。機嫌もころっと良くなりやがってどういう事だよ」
「え?俺、機嫌悪くしてたっけ」
「お前な……」
 春日の言う通り、趙の感情のスイッチはどこにあるか読めないところがある。彼の気が変わらない内には皿を手に取った。


 + +


「いや、俺も普通に冷凍炒飯は食べるよ。メーカーによって特徴も違うから面白いよね」
「意外だな、今の流れだと冷凍は絶対認めないってタイプかと思ってたぜ」
「そうでもないよ。便利なものは使っていかないと」
 食後の片付けを終えたが台所から戻ると、春日と趙は未だ冷凍炒飯談義に興じていた。
 先程春日は趙の気分屋な点を指摘していたが、同様に合わせられる彼も、なかなか切り替えの早い人物だとは思っていた。だからこそそんな彼の性格を好ましく思い、気を許す相手も多いのだろう。
 そして近頃少し慣れてきたとはいえ、東城会から追われた元極道と武闘派マフィア横浜流氓の元総帥がこのように生活感のある会話をしている様はやはり不思議な光景だった。
「悪いな、。任せちまって」
「いえ、調理は春日さんにお任せしたのでこれくらいは」
「もう具合は大丈夫?」
「はい。おかげさまで酔いはすっかりさめました」
 が腰を降ろすと、春日が「そう言えば」と話題を切り出す。
って、一番好きな食べ物つったら何だ?」
「食べ物ですか?」
「外で食べてても、あまり何が好きとか言わねえだろ。確か甘いものは結構食べるってのはさっちゃんと話してた気がするけど、そういうのとは別に、和洋中とかでさ」
「一番好きな……」
「え、無い?ほら、よく食べてた料理とかあるだろ」
 春日から促され、はしばらく考え込んでから口を開いた。
「よくご馳走になってたのは、焼肉とか」
「お。焼肉か〜、俺も昔よく親っさんに食わせてもらったな」
「ちょっと待った」
 するとそこに、趙が静止の声を掛ける。春日とは彼の方へと視線を向けた。
ちゃんは俺が見た限り、特別何が好きっていうより、多分好き嫌い自体無く全部美味しくいただけるっていうタイプだと思うんだよね」
「あ。それはあるかもしれないです」
「だからその焼肉っていうのも、その時どこかのおじちゃんによく食べさせてもらってましたって話でしょ?」
「おじ──」
 趙の指摘は、間違ってはいないのだが。
 にこやかな様子に油断していたところを、突如深く切り込まれ、は思わず言葉に詰まる。すると代わって春日が不思議そうに返した。
「どうして相手がおっさんになるんだよ」
「いや、なんとなく。ちゃんぐらいの女の人に焼肉をご馳走するのって、俺らより上の年代かなって」
「確かに、年上の方は多かったかもしれないです」
 今までの交友関係を思い返しながらが応じると、趙は指折り数え出す。
「和食に洋食に中華か……。一番得意なのは中華になるけど、多分他も普通にいけるかな」
 彼は自分で何か確認するように頷き、に向かって続けた。
「良かったねえ、ちゃん。俺が料理出来る男で。これから好きな食べ物もどんどん増えてくよ、きっと」
「趙の作る飯は美味いから、も胃袋掴まれちまったら大変そうだな」
「冷凍炒飯やら焼肉やらには負けてられないでしょ」
 笑って話す春日に、自信ありげに応じる趙。
 焼肉も冷凍炒飯も点心も。今は趙の言う通りすべて美味しくいただいているにとって、春日が指摘するような事態は想像し難く──取り敢えずは、今の話に誘われそうになっているお腹の音を必死に堪えるのだった。