「しかし、今でも信じられねえぜ。あいつが社長なんてなぁ」
 笑い話のように語るナンバに、他の面々も同意する。
 今彼らは連れ立って浜北公園へと向かっていた。というのも、今日はそこで一番製菓のCM撮影があるらしいのだ。リーダーである春日にえりも不在となり、残るメンバーでどうせなら撮影見学にでも行こうかという話になった。
「少し前まで俺と自動販売機の下漁ってたのによ」
「いや。あいつそれは今でもやってるぞ」
「ナンちゃんも一番も反応が早いよねー……」
 足立と紗栄子からの冷静な指摘も意に介さず「それでも大したもんだ」と誇らしげに頷いて続けるナンバの姿は、おそらく春日本人の前ではここまで素直に褒めないだろうという事もあって、の目にも微笑ましく映った。
「……何か、様子がおかしいですね」
 公園に入ると、春日とえりの姿は西の芝生エリアの傍にすぐ見つける事が出来た。しかし、ハンの言うとおり遠目に見てもどこか様子がおかしい。
 まず二人共、分かりやすく“わたわた”としている。
 そして奇妙なのが、カメラやマイクといった最低限の機材は置かれているにも関わらず、他にスタッフらしき姿がどこにも見当たらなかった事だ。邪魔にならないよう見学だけと思っていた一同だが、そのただならぬ様子に傍へと近付いていく。すると気が付いた春日が、彼らに強張った顔を向けた。
「オメェら……!」
「何か問題事か?」
「そ、それが……スタッフの方や、役者さん達に突然撮影をキャンセルされてしまって……」
 足立の言葉に応えたのはえりだった。彼女も見て分かるほど明らかに顔色が良くない。その説明を聞いて、紗栄子が驚いたような声を上げた。
「は!?何それ、最低じゃん!」
「お、おい。どうしてそんな事になってんだよ」
「ああ……、どうもライバル企業からの差し金らしい」
 春日は自身の拳を手の平に強く打ち付けて、悔しげに言葉を続ける。
「あいつら、今日来る予定だった奴ら全員にある事無い事吹き込みやがったんだよ!クソッうちとまともにやり合えねえからって、卑怯な連中だぜ!」
「そ、そうですよ!春日社長と関わると、コンプライアンスが疑われるだなんてそんな話……!」
 純粋なえりには申し訳ないと思いつつ。それまで彼らに同調するように話を聞いていた一同の間に微妙な空気が広がった。その明らかな変化を感じ取った春日は、戸惑ったような声を出す。
「な、何だよ……」
「“ある事無い事”、ねえ」
「一番、そいつはさすがに図々しいぞ」
 趙とナンバから、それに他の面々からも生暖かい視線を向けられて、春日は一瞬言葉に詰まる。しかしここで挫けるわけにはいかない彼は、いい事を思いついたとばかりに大きく目を開き力強い声を出した。
「そうか……、そうだよ!お前らが手伝ってくれりゃいいんじゃねえか!」
 倒産寸前であった一番製菓を、地元でも名うての大企業にまで押し上げた春日社長。その大胆な手腕が、ここでも発揮されようとしていた。


 + +


「えりちゃん、ほら、あのパラパラ漫画みたいなやつとかどこにあったっけ」
「あ……、絵コンテと台本ならここに!」
 春日の有能な秘書であるえりも、そこで素早く切り替えて資料を取り出すと、皆に見えるように広げる。彼女とて、乗り越えてきた場数となればそれなりのものだ。
「今回我が社が挑戦するのは、和菓子である煎餅と洋菓子であるチョコレートの融合です。煎餅を使ったクランチチョコで、若い皆さんにも一番製菓をアピールする事が狙いとなっています」
「今後バレンタイン時期に流す事も考えて、カップルがあーんってしてるやつ撮りてえんだよな。だから演者は男1、女1って事で」
「春日さん」
 それまで呆気に取られていた面々の中から、いち早く状況を整理したハンが冷静な声を上げた。
「力になりたいのは山々なのですが、突然そんな話をされても我々は何の準備もしてきていませんよ」
「そこは俺も何度か撮影には立ち合ってるから心配すんなって。そうだ、お前か趙あたりなんていいんじゃねえか?二人とも、画面映えしそうだしよ」
「あ、俺は無理」
 すると趙が軽く片手を挙げて応じる。
「これでも一部の界隈には顔が知られちゃってるみたいだからさぁ、俺」
「私も……、あまり目立ちたくは無いですね。裏方という事なら構いませんが」
「うっ。まあ、仕方がねえか。元横浜流氓と現コミジュルだもんな……」
 残念そうに言って、春日は残るナンバと足立の方へとチラと視線を向けると。
「……。……よし、じゃあここは俺が出るか」
「「おい!!」」
 そこからまた何も見なかったかのように視線を戻した春日に、ナンバと足立は同時に声を上げて、不満げに詰め寄った。
「そりゃねえんじゃねえか?たとえ嘘だとしても、お前そこは一言くらいよ」
「い、いや、ナンバはひょっとしたら俳優とかやれそうな雰囲気もあると思ってるぜ!?ただ食品を扱う会社としてはどうしても清潔感が求められるというかよ」
「なら俺はどうよ。勤続数十年、公務員一筋。身奇麗なもんだぞ?」
「足立さんは年齢がなあ……」
 思ったよりも乗り気だったらしい二人をまあまあと宥めて、今度春日は女性陣の方へと向き直った。
「それじゃあこっちは」
「言っておくけど、私はパスね」
 紗栄子の言葉にえっと意外そうな声を上げたのは春日とだ。性格上、ここは紗栄子が引き受けてくれるのではないかどこかで期待していたからだ。それは紗栄子自身にとっても察するところではあったらしく、彼女はやや申し訳なさそうに手を合わせて続ける。
「ごめん。一応私もまだお店には在籍してるから、何かあってそっちに迷惑掛けるのも悪いでしょ?」
「ああそっか、そうだよな。……となると、えりちゃんもこういうのは恥ずかしいらしいし、に頼めるかって話になってくるんだが……」
「……分かりました」
「え!いいのか!?」
 春日が驚いたのは、どちらかと言うともえりと同じでこういう事は苦手そうなタイプに思えたからだ。彼の大きな反応が恥ずかしかったのか、は少し視線を泳がせながら応える。
「さっき見せてもらった絵コンテだとそこまで顔は映らないみたいだったので、私でも協力出来る事ならって」
「えー折角が出るんなら、映してもらったら?これきっかけでスカウトとかきちゃうかもよ?」
「私、さんが引き受けてくれるなら心強いです!」
 を取り囲む紗栄子とえり。その女性陣が発する雰囲気に気圧されて、春日はやや距離を取った。
 すると、そんな春日の肩を背後からトントンと指先で叩く者がいた。「ん?」振り向いた視線の先、そこに立っていた趙が彼ににっこりと笑みを返す。
「ねえ、春日君。やっぱり俺がその男1やるよ」
「でもお前、さっきは顔が知られてるから無理だって」
「あ〜ごめんごめん!」
 すると趙はやや大袈裟な動作で、春日に謝るようにぱしんと両手を合わせる。
「あれは俺の勘·違·い。よく考えたら大抵の交渉事は別の奴に任せてたし、俺は隠れキャラみたいなもんだったからさ」
「隠れキャラだったか……?」
 突然の変わり身に戸惑って即決出来ずにいる春日に、ナンバと足立が横から声を掛けた。
「どう考えても趙の方が良いだろ。見た目からして、一番より今っぽい感じがするし」
「そうそう。それに自分から表に出過ぎる社長は、世間からは痛いと思われるぞ」
「だー!分かったよ!」
 先程の事を根に持っていた二人から野次られて、春日は半ばやけくそに怒鳴り返した。
 絵コンテと脚本による、今回のCMの流れはこうだ。
 公園の木陰で見つめ合う男女。女が今回の新製品であるチョコレートを男の口元に差し出すと、男はそれをそのまま口にする──。
「……ねえ、これ考えたのって一番?何かこう時代を感じるというか」
「そ、そうか?確かこんな感じだと思ったんだけど」
 故あって今時の感覚からズレがある春日に、呆れたようにダメ出しをする紗栄子。は指示されたように木の幹を背にして立ちながら、そんな彼らの様子を眺めていた。
 の手には、先程えりから手渡された新製品の小袋があった。食べやすいよう小分けにされたパッケージのデザインは、確かに今までの一番製菓の製品と比べると若者向けのおしゃれな雰囲気がある。
「消えものって言うんだって」
 が正面に視線を向けると、そこには趙が立っていた。
 木の枝や茂る葉の隙間からは、陽の光が零れ落ちていて──。画面映えしそうだ、と。は、先程春日が彼らに対して何気なく口にした事を思い出す。
「こういう撮影で使われる食べ物や飲み物の小道具をそう呼ぶらしいよ」
「詳しいですね」
「いや。単なる雑学ってやつ」
 が紗栄子やえりと話してる間、いつの間にか男性側の出演者が春日から趙へと変更になっていた。時間も限られているという事でそのまま急ぎ撮影の流れとなったのだが、いつも通りの態度で余裕ある趙を前にしていると、は今更ながらこの状況に緊張し始めていた。
 試しに既に開けられている袋の中からチョコレートをひと粒摘んでみるも、まるで見た目よりずっと重いものを扱うかのように、指先に過剰に神経が集中するのが分かった。
「趙さんは、甘いものはお好きですか……?」
「んー……、たまに食べたくなったりするかな。ちゃん知ってる?中華街のチントイとか」
「ゴマ団子の事ですよね。私も好きです、薄皮でもちもちしてて」
「あれ、揚げたてがまた良いんだよね」
「分かります」
 和やかな雰囲気で語ってから。は、本来の話の流れを思い出してハッとした。
「そうではなくて……私が失敗したら、趙さんにたくさんチョコレートを食べさせてしまう事になるのかなって」
「ひょっとして緊張してる?」
 申し訳なさそうにするに、趙は意外そうに目を見張った。
「おかしいなぁ。さっき春日君に立候補した時は、落ち着いてたように見えたんだけど……」
「り、立候補はしてません」
「はは!知ってる、立候補したのは俺だから」
 ふっと。二人の間の空気が動いた。
 手首を掴み持ち上げられたが咄嗟に顔を上げた時には、チョコレートは彼女の指先に掠めるような熱を残し、趙の口の中に入っていた。
 彼らから少し離れた場所で機材が慌ただしくセッティングされていく。趙はの手首をゆっくりと離すと、その顔に弧を描くような笑みをニィと浮かべた。
「これだったら何個でもイケちゃうから、ちゃんは心配しないでいいよ」
「……助かります」
「あ。けどそんな事言って、俺の方がNG出しちゃったりして」
「そうなったとしても、お互い様ですから」
 は知っている。
 このパターンは、何事も無かったかのようにしながらも、こちらの反応を窺っているのだ──と。
 それも“以前”であれば狐面があったが、今のには何も隠せるものがない。なるべく表情には出さないようにと返すの動揺を知ってか知らずか、趙は相変わらず愉しげにしていた。


 + +


 後日完成した映像がサバイバーにてお披露目された。えりのノートPCで再生されたそれは、趙との姿はシルエットのように使われており、あくまで新製品の印象が上手く残るものだった。撮影している時はどうなるかと思っていた一同も、なかなかの出来に感嘆の声を上げる。
「なんとか誤解が解けて、仕上げに関してはプロの方にお願いする事が出来ました」
「そこはさすがプロってところか。素人撮影でもどうにかなるもんだな」
 足立の言葉を聞いて、春日が腕組みしながらいいやと首を振った。
「皆が手伝ってくれたおかげだぜ。ありがとよ」
「水くせえな〜。これくらいの事、気にすんなよ」
 春日が顔を向けると、カウンターに腰掛けていたナンバは氷が入ったグラスを持ち上げた。よく見るとナンバの顔は赤く、既にほろ酔い加減といったところである。
「おかげでこうしてタダ酒飲めるんだ。また次もやっていいくらいだぜ」
「いや、タダ酒は構わねえんだが……。あの、マスター?ここって寿司とかも出してましたっけ……?」
 手伝ってくれたメンバーへの礼と、打ち上げも兼ねて、今日の飲食代は春日が持つことになっていた。
 カウンターやテーブル席に所狭しと並べられた高級寿司のデリバリーを見て尋ねる春日に、店のマスターはいつもの定位置から返す。
「ああ、今日は持ち込みOKにさせてもらった。知ってる中でも一番いい所に頼んでやったから安心しな。俺も寿司は久々だしな」
「そ、そうっすか。そりゃあ……、良かった」
 ことマスターに対しては大型犬のように従順さを見せる春日には、完全に予算オーバーである事や、なぜマスター達の分の寿司まであるのかといった事を、指摘する事などは出来なかったのである。
「まあでも、二人には特に礼を言わなきゃな」
 乾杯の音頭を取った後。春日は趙との二人をピアノ側のカウンター席へと連れて行き、自身の両脇に座らせた。腕を広げ、労うように彼らの肩を叩く。
「よっ、ご両人!いい雰囲気出てたぜ」
「でしょ?任せてよ」
 おどけるように応えながら、「ね」と目配せしてくる趙にも笑みを返した。
 当日は慣れない事で手一杯だったが、先程完成した映像を見てまず顔バレの心配が無くなった事、肩の荷が降りたような安堵感からにも余裕が出来ていた。今の彼女の悩みといえば、寿司桶からいくつか見繕ってきたお気に入りのネタを目の前に並べて、さてどれから食べようかという事くらいである。
 そんなと彼女の横顔を眺める趙を、春日は普段より濃い目に割った酒を口にして、とろんとしてきた眼差しを左右に動かし見比べる。
「なあ、お前らってやっぱ付き合ってんの?」
 質問というよりも確かめるような春日の言葉に、は寿司に伸ばしかけていた箸をビタッと止めた。そんな彼女より早く、春日の問いに目を開いて嬉しそうに返したのは趙だ。
「お〜、さすが春日君見る目あるー。俺もさぁ、そうじゃないかと思ってたんだよ」
「冗談ですよ春日さん」
 互いの主張に挟まれながら、春日は戸惑う。
「(今時の奴らだと、こういうダチっぽい感じから既に始まってる事もあるって聞くしな……)」
 今も愉しげにからかう趙に、が懸命に反論する声が聞こえる。しかし、段々と酒が回ってきた春日の頭ではそれ以上判断する事が出来なかった。