本拠地である神室町から少し遠くに足を伸ばして、は地方の駅前広場で今回の依頼人を待っていた。
 電車が止まり利用者がぞろぞろと改札を抜けて出てくる。だが、スーツの上からでも見分けが付くほどに鍛えられた体躯の持ち主である冴島の姿は容易に見つける事が出来た。
 今回の依頼人とは冴島の事だ。
 広場にいる人々にさり気無く注意深い視線を走らせる彼の元に、は真っ直ぐ近づいて行った。
「…………」
 気が付いた冴島も黙っての事を見下ろした。その相手を観察するような視線は彼女の顔からゆっくり下がり、足元まで行くとまた上へ。
 敢えて冴島からの第一声を待つ事にしたに、冴島は少しだけ戸惑ったようにその言葉を発した。
「おお……なんや、嬢ちゃんが花屋の言ってた案内人か?」
「(気が付いていない……!?)」
 花屋の思惑で、今日のは狐面も外し、素の彼女の時よりも派手めの化粧と服装で冴島を出迎えた。
 は冴島とはもう何度か面識がある。その上で充分信頼するに足る彼という人物の為であれば作戦の為にここで素顔を晒す事も、それはそれとして納得していたのだが。
 冴島は恐らくは普段あまり身に付ける事に慣れていないであろうネクタイを、窮屈そうに緩めながら続けた。
「花屋や情報屋の人脈も俺が思うとるより広いんやな……これは今から案内頼む俺が言えた事とは違う。けどな、あまり危ない事したらあかんで」
「はい……」
 力無く返事をしながらどこか気が抜けたような、がっかりしたような雰囲気のに、冴島は「ん?」と不思議そうにしていた。


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 これは他の東城会関係者の面々にも言える事だが、いくら子綺麗な私服やスーツに着替えさせても、冴島の“只者で無い雰囲気”というのは特に彼らの同類には隠そうとすればするほどすぐ敏感に嗅ぎつけられてしまう。
 それでは今回のように騒ぎを起こさず済ませたい場合はどうするか。
 花屋の考えた案は、こうであった。
「今は嬢ちゃんが俺の“女”っちゅう事か」
「この繁華街あたりでは、冴島さんみたいな人がお店の女性を連れて歩いてる事は珍しくないですから」
「ほう。それで俺にもスーツを着てくるようにっちゅう話やったんやな」
 木を隠すなら、森の中という事だ。
 正直冴島が丸っきりの一般人を装うのは難しい。それならば敢えてその逆、不自然に装う事を止めさせた。
 そのままでは当然その筋の人間だとは勘繰られるだろうが、まさか東城会の大幹部が堂々敵陣近くを歩いているとは咄嗟に思わないだろう。そしてそれ以外の小物と判断した相手にいちいち構ってくる程、相手も暇ではない。
 駅前とはがらっと雰囲気が変わり、何処と無くひりつくような空気感漂う繁華街の中を進みながら、冴島はから聞いた話に対し少し考え込んでから再度口を開いた。
「そうか……。俺が極道っちゅう事は、もうどうやっても隠せへんもんなんやな」
 後悔ではない。ただこの数十年間その道だけを愚直に進み生きてきた男が、僅かばかりの感傷に浸るような響きがあった。
 は咄嗟に言葉を掛けようとして、果たしてそれが今本当に適当な言葉なのかと迷う。だがやはり何か言わなければと、結局は自分が浮かんだ事をそのまま素直に告げるに至った。
「さ……冴島さんは、例えば格闘家だって言われてもそうなんだなと思いますよ。納得します、ものすごく」
「格闘家?」
「そもそも武道を嗜んでいる雰囲気がありますから、武道を嗜んでる前提なら農家の方とかでも充分……」
 が何とかフォローしようとした必死さが伝わったのか、冴島は目を丸くした後でくっと噴き出すようにして笑った。
「はは、農家か!農家はええな、案外俺の性にも合いそうや」
「冴島さん器用ですもんね」
「器用かどうかは分からんが、力と体力と根気だけはあるで。これだけあったら頭使う以外、大抵のもんは出来る」
 そこで彼は、その大きな手をの頭にポンと軽く乗せた。
「おおきに。すまんかったな、俺のせいで気遣わせてしもうたやろ」
「!いえ……」
「……嬢ちゃんみたいな優しい娘は、俺はやっぱこういう仕事はやらん方がええと思うで」
 そう言うと冴島はすっと手を退かして、再び前を向いた。
「(……久々に言われた……)」
 それはが狐面をかぶっている時の事であるが、冴島は度々先程のような忠告を親身に繰り返してくれていた。
 としては受け入れる事が出来ずその度に呆れたような溜息を吐かれ、今では彼もの意思を汲む事にしてくれたのか滅多には口にしなくなったが、やはり心の底では当事者以外を巻き込み傷付ける事を嫌っているのだろう。
 実際にこれまでも多くの人間の血に手を汚し、罪を重ねてきた冴島に言うべき言葉ではないのかもしれない。
 だがこういう言葉を聞く度にはどうしても彼こそが、優しい人物なのだと思えて仕方が無かった。
 それから自然と会話も少なくなりしばらく歩いた所で、が呟くように声を出した。
「今通る場所、左のビルです」
 冴島はその呟きを無言で受けて、視線を何気無く左に流しながらビルの前を通り過ぎる。
 そのまま二人は何もなかったように歩き続けた。
「階段があったな。あそこか?」
「はい。今は昼間なので誰もいなかったですけど、夜になると横に男が立ってるので分かりやすいと思います」
「なるほどな……。嬢ちゃんは入った事あるんか?」
「……あるって言ったら怒りますか?」
 がやや言いづらそうにして答えると、冴島は一瞬不可解そうに眉根を潜めた後で「ああ」とその意味を理解し、笑いながら頷いた。
「おう、そら勿論怒ったるわ。あない物騒な場所に女一人で入ったらあかん。後は俺らの仕事や」
 するとも冴島に釣られて思わず笑った。
「案内までさせておいて、それはさすがに白々しいです」
「まあな……。……せや、今更やけど嬢ちゃんは俺の知っとる奴に少し似てるわ。花屋のとこにおるんなら、お互い知り合いかもしれんな」
 繁華街を抜けて通りに出ると、冴島は信号待ちの為に自然と足を止めて改めてを見下ろした。
 もその隣で立ち止まって、彼の顔を見上げる。
「気が付きました……?」
「ん?何の事や?」
「……いえ」
 やはり少しがっかりしてから、は冴島との話を続けた。
「多分私の知らない人です。同じ組織にはいても、こういう仕事だと顔も名前も知らない事は多いですから」
「ほぉ、仲間同士の企業秘密みたいなもんか。せやったら俺があんま下手な事言うてもあかんのやな……」
「それじゃあ特定出来ない程度で……どこが似てましたか?」
 興味本位でが聞くと冴島はほんの少し言葉を選ぶような間を置いた。
 彼はやがて自分でも納得がいったように頷いてから、はっきりと言い切るように続ける。
「背筋伸ばしたええ女やで。そいつもな」


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 今回の件は、例え特定が出来たとしても周りの動きも見極めながらすぐ行動は移せないというのが面倒な所だ。
 直進型である冴島の事だ。さぞかしストレスが溜まっているに違いないとからかい交じりに電話を入れてやった真島であったが、意外にも落ち着いた様子の相手の声に拍子抜けしていた。
「つまらんなぁ〜〜。せやったら、六代目に言われた通り明日には大人しく帰ってくるんかい?」
『そうや。今回の俺の仕事は、まず一旦ここまでやしな』
「は、そらお利口さんな事やな。今電話掛けたったらそっちのアホどもの絶叫でも生中継してくれるんかと思うとったが、アテが外れてもうた」
『ふ、よう言うわ。お前も何だかんだ任された事は真面目にやっとるやないか』
「…………」
 真島は口を開けたままその言葉には特に答えず、革のソファーに座りながらテーブルの上に乗せた脚をダンッ……と音を立てて組み替えた。
 片腕をだらりと乗せた背凭れにふんぞり返るようにし、天井を見上げる。すると彼はそこで今気が付いたように、さっと話を変えた。
「よくよく聞いたら騒がしいか……おうおうおう組の金使うて観光なんぞ、ええご身分やのぉ」
『せやから……俺の仕事は終わりや言うたやろ、外で飯くらい食うわアホ。用無いんならもう切るで』
 そう言った冴島の口調は気のせいか、まるで何かを気にするようにやや遠慮がちなものであった。
 真島としても結局当初の目的は果たせなかったのですぐに電話を切っても構わなかったのだが、その冴島の様子に妙な違和感を感じ、彼の申し出を無視してしばらく黙ったまま電話の向こうの気配に耳を澄ます。
やがて──その違和感の正体を掴んだ真島はみるみる開眼し口角を上げると、背凭れからガバッと飛び起きるようにして前のめりに身体を離した。
「分かった!!オンナや!!!」
『!?な……』
「ヒヒッ、図星やろ兄弟!しれっとしてからに、そっちで適当なオンナ捕まえて楽しんどったっちゅうわけかい?」
 すると電話口の冴島の声がやや焦ったものに変わる。
『こっちはまだこの電話の使い方にも慣れてへんのに、お前はいちいち声がでかいんや……!……それに捕まえてへん。花屋の所の人間や』
「花屋ぁ〜〜?……ホームレスか?」
『そういう感じはせえへんな』
「まっ、ええわ。せやったら花屋の部下か愛人か分からんオンナを今からコマしたろうとしとったんやな?え?」
『あのなええ加減に……っと、ああ、すまん。ツレからの電話や……』
 携帯を耳に当てながら、真島はしばらくこのネタでからかってやろうと電話の向こうでの冴島と女の会話を面白がるようにニタニタと聞く。
 ところがその会話をしばらく聞く内──彼は徐々に、その笑みを潜めていった。
 やがて女との会話を一旦切り上げた冴島がまた電話口に戻ってきた。
『おい、聞いとるか?お前のくだらんお遊びには戻ってから付き合うたる。せやから今はもう切っても構へんやろ』
「なあジブン……、さっきそこにおるオンナの事は確か“花屋の所の人間や”って言うとったな……」
『どうしたんや、いきなり』
 つい先程、電話の向こう。すっかり冴島に気を許し信頼しきったような穏やかさで響いた女の声を思い出し、真島は不愉快そうに眉間に皺を寄せながら続けた。
「……それ、ほんまに“人間”かぁ?」
 ひょっとして、今日はたまたま、人間の振りをした狐ではないのかと。