気だるげに組んだ脚をソファー前のローテーブルに投げ出す真島の正面、プレイヤーの映像を再生するテレビ画面には、古い外国の映画が字幕付きで映し出されていた。
 真島はソファーの背もたれにだらりと両腕を伸ばして、画面の中の若い男女達が深刻な顔で話し合う様子を大して面白がる様子も無く眺めている。画面全体に流れる暗い雰囲気からいって、どうもホラー映画らしい。
「真島さん、聞いていますか?」
 ソファーの脇に立って報告を続けていたが遂に我慢ならずに問いただした。真島は画面に顔を向けたまま、ひらひらと片手を振って応じる。
「よぉく聞いとった」
 真島はそのままリモコンに手を伸ばすとブチンとテレビの電源を消した。
彼はローテーブルから脚を降ろして、暗くなった画面に向かってはあと落胆の溜息を吐く。
「大ハズレや……。同じパターンの繰り返しで肝心のもんが全然出てこぉへん」
「……本当に聞いていましたか?」
「せやから、その工場跡に逃げ込んどったっちゅう話やろ」
 リモコンを投げた真島はに顔を向け、その口角を持ち上げた。
「さすがよう突き止めたもんやな。狐ちゃんに頼んで正解や」
「思ったより遠い場所でしたね」
「今更命惜しさに必死こいて、アホなやっちゃ。あとは俺が直接行くわけやなしどうでもええけどな」
 真島から頼まれた男の行方についての報告も終え、の仕事も今回はこれで終わりのはずであった。だがはしばし逡巡してから、付け足すようにぽつりと口を開く。
「工場に向かわれる部下の方は、せめてお塩くらいは持たれた方が良いですよ」
「あ?」
 真島から向けられた怪訝そうな視線に、は再び迷いながらも言いにくそうに先を続けた。
「そこ、事業を畳む時に色々とあったみたいでいわくつきの場所なんです。単なる噂だとは思いますけど、一応調べてみたら当時あった事件の新聞記事等も出てきたので……」
 の話を真島は口を軽く開きながらぽかんとした表情で聞いていた。
 まさか自身も調査の途中で耳にしたこのよくある噂話を本当に信じていたわけではない。ただ真島が見ていたホラー映画を見てつい思い出してしまっただけの事なのだ。仮にも真面目な仕事の最中、急に幼稚な話を切り出してしまった事をは後悔した。
「すみません、余計な──」
「その話、もう少し詳しく聞かせろや」
 途中で言葉を遮られたは顔を上げた。そこには先程までの様子とは打って変わってぎらついた笑みを浮かべてる真島がいたのであった。


 + +


 その工場は神室町からは遠く離れた郊外にひっそりと佇んでいた。長い年季を感じさせる石壁には不気味な雨染みと長い蔦が這い、広い敷地内の地面には錆びたドラム缶や薄汚れたビニールシート、積み重なった古い車のタイヤ等があちこち乱雑に放置されている。
 辺りに隣接するような住宅は無く田畑に囲まれている為、頼りになるのは月明かりだけで、目の前の人間の顔さえ咄嗟には確認出来ない。
 あらかじめ周囲に部下を潜ませた真島は、建物正面にある両開きの大きな扉前に回っていた。頑丈そうなチェーン錠に薄い笑みを浮かべ、そこを靴の裏で躊躇無く蹴り破る。
 扉が勢い良く開くと静まり返った建物内には大きな音が反響した。彼は一歩立ち入るなり、待ちわびたとばかりに両腕を広げた。
「ヒッヒッヒ……来たで来たで来たで〜〜!!気合入れて化けてこいやぁ!!?」
 そんな真島に半ば無理矢理連れて来られたは、この高いテンションにはついて行けずに彼の背後で困惑していた。
「あまり大声は出さない方が……」
「おお、そやった。こういうんは人間サマの方も少しはしんみりした雰囲気を作ったらんとな」
「いえ、あの」
 まさか本当に当初の目的を忘れているわけではないだろうかと、は暗い通路の中を愉しげに進む真島の背中を見て不安に思った。
 真島らが探していた男は間違いなく建物内にいる。そう広くは無い建物だ、先程扉を蹴破った大きな音で相手もこちらの侵入には気が付いているだろう。手負いの獣には気を付けろとは言うが、相手の男も相当追い込まれており何をしてくるかわからないのだ。
 しかし、細心の注意を払って臨むべきこの状況でも真島の態度には緊張感など欠片も見られなかった。
 しばらく通路を進んで入ったのは建物内の面積をほぼ占める広い部屋だ。
 ここが主な作業場として使われていた場所のようだった。古く大きな機械と長机が何台もずらりと並べられた室内を入口からゆっくりと見渡して、真島は舌打ちをする。
「どう考えてもここが本丸やんけ、不意打ちで物音立てて脅かすくらいしてこいや……!!」
 よく分からぬ理由で悪態をつく真島に対して、はこの部屋には他の場所とは違ういくらかの気味の悪さを感じていた。特に片付けられてはいない室内にはまるでつい先程まで人がいたかのようで、がらんとした広さのせいか急に空気もひんやりとしていたからだ。
「(だから、こういうのはあまり好きじゃないのにな……)」
 落ち着きなく身体を動かしていたは真島が振り返ると誤魔化すようにさっとその背筋を伸ばした。
 真剣な眼差しを向けてくる真島に、は戸惑う。彼は思案するようにふぅんと顎に手をやると、
「やっぱり、足らんのは雰囲気やな」
「雰囲気?」
「狐ちゃん。この手のやつらをおびき出すにはどんな餌が一番ええか知っとるか」
 靴音を立てて距離を詰めてくる真島の不穏な気配には思わず後退りした。
 そのままじりじりと壁際まで追い詰められた彼女が見上げた先で、真島は深く口角を持ち上げる。
「一番の餌は恐怖に怯えるオンナや。それも、べっぴんさんやと尚更ええ」
 確かに和製ホラーの主演といえば美人女優が定番である。は真島の言葉には何となく納得をしつつも、
「この状況に何の関係が……!?」
 片手を壁に突く真島はその下で動揺するにも構う事は無く、もう片方で彼女の身体のラインを腰からゆっくりと撫で下ろしながら、白々しく言い放った。
「この際、悲鳴でも嬌声でも大して変わらんやろ。狐ちゃんもこれから世間の荒波の中を生き抜いていくには柔軟な対応を心掛けていかなあかんで〜。ケースバイケース、っちゅうやっちゃ」
「意味が違います!」
 真島の自由な手の動きにが思わず身体を跳ねさせると彼の瞳は捕食者としての獰猛さを色濃くしていった。それは、狐面の奥で動揺する彼女の瞳と交差する。
「……どうせなら飛びっきりええ声出して、聞かせたれや……」
 ぞくりとするような低い声には息を飲む。
 空気がふっと、動いた気配がした。


 + +


 作業場の隅で息を潜めていたらしい男が、ばたばたと騒々しい足音を立てて別の出口から逃げて行く。
 真島とは男が走り去った方を見ながらしばらく動きを止めていたが、一早くハッと我に返ったは真島の腕の中から慌てて逃れながら誤魔化すように大きな声を出した。
「お、追い掛けませんか?逃げられてしまいますよっ」
 真島は屈めていた身体を起こすと、首の後ろを掻きながら舌打ちをした。
「お呼びで無い方がのこのこと出て来おって……少しくらいは空気っちゅうもんを読めや……!!!」
 真島は取り出した携帯を操作してどこかに繋ぐと、それを耳に当てた。
 いまいち展開を把握出来ないは、そう悠長にしていては本当に逃げられてしまうのでは無いかと、男が去った方と彼の事を見比べる。
「────行ったで」
 真島が通話口の相手に短く告げたと同時。突如花火が打ち上がったような爆発音がし建物全体が大きく揺れた。
「!?」
 驚いて視線で問うに、真島は携帯を懐にしまいながら笑みを浮かべて応じた。
「出口さえ塞いだったら、あとそっちの通路は袋小路や。ま、わざわざ行かんでも今頃は崩れた瓦礫の下でペラペラになっとるかもしれんけどな」
 は建物に入る前に目にした真島の部下達の姿を思い出していた。
 一部がやけに慌ただしくしていたのはこのせいだったのか。そう考えると、恐らく仕掛けているのも今の一箇所だけではないだろう。
「何もそこまでしなくても」
「サービスや、サービス。建物解体するにも結構金が掛かるんやで?」
 軽くおどけたように言ってから、真島は突然思い出したように冷めた眼差しで辺りを見渡した。
「けど正直、これはやり損やな……。結局目的のもんは出てこんし、狐ちゃんがきゃあきゃあ言う所も見られへんかったし、期待外れもええとこやったわ」
「私は元々そんな事は言いませんよ。ほら、早く行きま、」
 カシャン、と背後で響いた物音には肩を跳ねさせた。
 見れば、壁に立て掛けられていた波状の板が滑り落ちて床に倒れていた。他には特に何も無い事を確認してが内心安堵しながら再び顔の向きを戻すと、真島がニヤニヤとしながら両腕を大きく広げ、まるでからかうように気取った声を出した。
「さあ、おいで」
「音に驚いただけです」
「ヒヒッ、なんやなんやなんや、狐ちゃん可愛ええやんけ〜!さっきもなかなか惜しいとこまではいっとったし、こら次こそはほんまもんの場所でリベンジやな!」
 途端機嫌を良くした真島はうんうんと頷きながら、男の後を追ってようやく部屋の出口に向かって歩き出した。彼の言葉に抗議をしようと思っただが、この場に一人残される事に不安を感じて急いで後を追う。

 やがて、二人の姿が消えた作業場。
 汚れた冷たい床の上、波板は静かに倒れたままであった。