賽の河原のモニタールームにが戻ると、部屋の中央に立つ花屋は画面の青い光を顔に反射させたままぽつりと言った。
「ここに来るまでに何度かお前に絡んできた連中……単独じゃねえ。組織だな」
「え……」
 急いで駆け寄ったが花屋の隣に立って見上げると、先程撃退した男達が狭い路地でまた別のグループと合流している場面が映されていた。
「やっぱり今回お前に任せたのは少しばかりやばいヤマだったか。つけられちゃいねえが、その狐面は覚えられちまったようだな」
「……ボス、叩くなら私が出ます」
「うちは情報屋だ。そこまで仕事する必要はねえよ」
「でも」
 ゆっくりとデスクまで戻った花屋は椅子に腰を降ろすと、目の前にあった受話器を慣れた様子で手に取った。
「まあ、待て。こうなった場合は依頼主に責任を取ってもらう。ついでに、後始末の方もな」
「依頼主……」
「お前絡みなら、あちらさんも喜んでやってくれるんじゃないのか?」
 珍しく少しからかうような口調で言ってきた上司は、間違い無く──がこの世で、決して逆う事が出来ない人物の一人であった。


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 ミレニアムタワーに着いたが事務所まで案内されると、花屋が言う所の依頼主である真島はソファーから立ち上がり、仰々しく両手を広げ迎えた。
「──ようこそ、真島組へ!……なんて、今更やな?」
 おどけたように言って再びドサッとソファーに腰を降ろした真島に対し、はまず深く頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けしてすみません。私の責任です」
「ええって〜そんなん。おかげで裏も取れたし、ついでに臭い繋がりも分かって万々歳や。手間が省けて、あとはまとめて潰すだけやな」
「……そう言ってもらえると助かります」
「ま、任せとき。明日の夜には片すさかい、それまではゆっくりしてったらええわ」
 真島の言葉に、はぴくと僅かに身動ぎした。
 らが依頼主について他言する事は当然無いが、真島らの作戦が終わるまでは足を掴まれないようにしなければならない。それならば、当の依頼主である真島組に匿ってもらえばいいと言う花屋の指示には、頷けたのだが。
 そわそわと立ち尽くすに気が付き、真島は手招きをした。
「ほれ、こっち来て適当に座ってええで。酒開けるか?」
「いえ、お酒は……もしかして私ここに……真島組の事務所に、泊まらせていただけるんですか?」
 そこで「は?」と当たり前だと言わんばかりに首を傾げた真島は、どうやら他の選択肢は用意さえしていないようだった。
 としては彼らに指定された安ホテルに身を隠して、事が落ち着くまで軽く軟禁されるくらいの事は覚悟していたので、予想外すぎる展開に逆に不安になる。
「せやで。相手の動きが逐一把握出来て、狐ちゃんも守れる安全な場所言うたらここが一番やろ」
「それは、そうですが」
「心配せんでも、一応寝床も風呂場もある。そや、折角やし風呂にはおっちゃんが一緒に入ったろか?」
「え、お風……だ、駄目ですよそんなの!」
 真島とが騒がしく会話していた所で部屋の扉が叩かれ、もよく世話になっている組員の西田がひょこっと顔を出した。
「親父、客室片付けて来ましたよ。あれなら狐さんにもゆっくり休んでもらえます」
「客室ぅ〜?はて、んなもんあったか……ええねんええねん、狐ちゃんは俺の部屋で寝さすからな」
「え……は!?ちょっ、話が違うじゃないですか!」
 すると、西田を代表とし背後に控えていたらしい他の組員達も騒ぎ出した。
「そうですよ親父!俺らも狐さんとお話しさせたるって言うとったやないですか!」
「俺なんか上等な油揚げも用意したんすよ!」
「(油揚げ……?)」
 どうやら狐繋がりで可笑しなキャラクター付けをされているらしい事にが首を傾げた、その時。

ダンッッ───!!

 突然拳を強く降り下ろしテーブルを揺らした真島に周囲は静まり返り、彼に恐る恐る視線が集まった。
 真島は笑みを浮かべていた。ただしそれは、彼が闘いを前によく見せるような“一歩手前”の獰猛な笑みだ。
 振動でカタカタと揺れていたテーブル上の灰皿が徐々に動きを弱め制止すると、部屋には静寂が訪れる。
「……俺がなんか、おかしな事でも言うとるっちゅうんかい?」
 「いいえ!」と背筋を伸ばした組員達が即答すると、真島は更に彼らに対して怒鳴り散らした。
「せやったら大事なお客サマにとっとと茶の一つでも淹れてこんかい!!湯の沸かし方くらい分かっとるやろ!?」
「す、すんません!すぐ!」
 慌てて持ち場に戻っていく組員逹の背を、は気の毒そうに見送った。
 振り返ると、相変わらずソファーでふんぞり返る真島が先程とは打って変わって人懐こい笑みをニッと向けてくる。
「どうにも騒がしゅうてすまんなぁ〜。気にせんと、リラックスしてや」
「…………」
 騒ぎの元である人物に言われても説得力は無かったが、は取り合えず彼が指定するソファーに腰を降ろす事にした。


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 風呂上がりに用意されていたシャツ型のパジャマ上下に着替えが出ていくと、既に薄暗い寝室でキングサイズのベッド端に腰掛けながら煙草を燻らせていた真島は顔をしかめた。
「……色気があらへん。誰や買い出し行ったアホは」
 確かに、狐面をかぶったままのパジャマ姿では──両肩の白蛇と背中の般若を露に、革のパンツのみを着こなした真島に比べたら、色気という観点では惨敗かもしれない。
 そのせいか、しなやかな筋肉がついた真島の上半身など見慣れているはずのは、いつもよりも緊張してしまっていた。
 男性にしては色白な肌が、この薄暗さで艶かしく強調されている。
「色気が無くて悪かったですね……」
「いや、狐ちゃん自体は相変わらずええ身体しとっても組み合わせっちゅうか……その面は、風呂と寝る時でも取らへんのか?」
「さっきお風呂をいただいた時は取りました。寝る時も、いつもは取って寝ます」
「あー……今は俺がおるからしゃーないな。それに俺もこいつがあるから、人の事は言えへん」
 眼帯に触れながら少し残念そうに言われると、まるで真島を信用していないとでも言ってしまったようで、は罪悪感に近いものを感じた。
 職業柄女という性別も考慮して、自衛の為始めた事だ。今では情報屋として名を売る効果にも一役かっているが、賽の河原のごく親しい仲間を除き、知人にさえ素顔を晒すタイミングを失ってしまったのは事実である。
 特に真島とはこういった付き合いも長く、これから先の事も予想される。
 こうして色々驚かされるような所はあるが、この街で信頼出来る稀有な人物である事は間違いない。
 は密かに決意を固め、やや緊張した声で真島に問い掛けた。
「……真島さんは私がお面取った所見たいですか……?」


「あ?いや、別に」
 軽く標準語に近いイントネーションでばっさりと真顔で即答され、は思わず言葉を失った。
「よう考えたら色気の無いそれも、剥いでもうたら関係あらへんしなぁ。面だけしとるっちゅうのも、それはそれでそそるやろ」
「!な、何を言っ」
「……ってのは、今の内は冗談にしといたるから安心せえ。はよ布団に入らんと、身体冷やすで」
 慌てたに笑みを見せると真島は煙草の火をサイドテーブルに置いた灰皿で揉み消した。
 そしての分のスペースを空けて取り、広いベッドにどさりと仰向けに寝転ぶと、さっさと目を閉じてしまう。
 がベッドの脇で戸惑っていると、真島は思い出したように口を開いた。
「それと……面取るのは、狐ちゃんがほんまにそうしたくなった時にしときや。俺みたいのをあんまり早くに信用しとったら、後悔すんで」
「…………はい」
 なぜだろう。はまるで“告白”を断られてしまったような、そんな気分だった。
 背を向けてベッドの端に小さく丸まったに、真島が「んっ?」と薄目を開ける。
「なんや、急にご機嫌斜めやの……あやしたろか?」
「おやすみなさい!」
 方向は同じでも、想いを重ねるというのは難しいという事なのである。きっと。