「ほな狐はん。例えば、あの人なんてどうでっしゃろ」
 二人並んでいた女のうち片方が少し離れた道の向こうを指差すと、もそちらに顔を向けた。
 指差した先、肩に天秤棒を担いだ棒手振りの男が軽快な足取りで過ぎていく。女達から期待の眼差しを受けながらは自信なさげに小さな声で返した。
「今の人にも、何ら欠点と言える欠点は……」
「ええ!?ちゃうで、あれはどれだけよう見繕うたかて中の下や」
「あんたら、あの不恰好な鼻の形が見えへんかったん?うちは下の中あたりやと思う」
 の返答はどうやら女達の期待に応える事は出来なかったようであった。二人から漂う落胆の空気には肩を縮こませる。
「やはり私の意見は参考にならないですよ」
「でもうちの周りは皆、沖田総司はえらい美少年や言うてはるで」
 女達は瞳に再び熱を灯し、まだ見ぬ彼の君にうっとりと想いを馳せる。
「ああ、うちの奉公先のおかみはんも言うてたわ。沖田総司とやったら今の旦那はん捨ててでも一緒になりたい、って」
 女達は互いに顔を見合わせると吹き出し、華やかな笑い声を上げた。は戸惑いつつ問い掛ける。
「おっしゃってる方達は実際にご本人を見た事はあるんでしょうか」
「えっ。うーん、どうやろ。でも新選組の沖田総司いうたら有名やし多分……」
「あの建物の中に入れる狐はんが羨ましいわあ。門の所に立ってはる人らの顔の怖いこと、うちらじゃこっそり中を覗く事も出来へん」
 ある程度気が済むまで話した所で本来の用事を思い出した女達は、に薬の礼を告げてから帰っていった。
 入れ替わるように、先程の棒手振りがの前を通過していく。徐々に遠ざかる背中が見えなくなるまで無言で見送ってから、一人その場に残されたは悩ましげに首を捻った。


 + +


 昼間の見廻りを終えて壬生に戻った永倉は、茶屋の店先にある長椅子腰を降ろしているの姿に目を止めた。
 はいつも背負ってある大きな薬箱は地面に置き、茶屋の正面、屯所へと繋がる石段を見上げている。永倉は一度同じようにそちらを見上げてから彼女に近付いた。
「ここで誰か待っとるんか」
 永倉が声を掛けるとは彼の方に顔を向けて背筋を伸ばした。
「もし待ちぼうけでもくらっとるんやったら、俺がそいつに声掛けてきたるで」
「いえ」
 なにやらばつが悪そうに言葉を濁すを不思議に思い、永倉は彼女の隣に腰を降ろした。
 “そいつ”とは言いながらも、永倉がの待ち人として咄嗟に想定していたのは彼女と関係が深そうな斎藤か沖田のいずれかであった。しかし、敢えて屯所の中ではなく外で会おうとしているという事、そして今の不審な態度を思えば──相手は斎藤という線が濃いだろうか。
 しかし永倉はそんな事にはまったく考えも及んではいないかのように、むしろ彼女を気遣う口振りで続けた。
「困り事か」
「……そうかもしれないです。永倉さん、お伺いしてもいいですか」
「ん?おお」
 思わぬ展開に永倉は僅かに動揺し、畏まるように胸の前で腕組みをした。
 いつもの事ながら、彼を見上げるの表情は顔の半分以上を隠す狐面のせいで容易に窺い知る事は出来ない。面の下から覗く形の良い小さな唇は一度閉じて、また開かれる。
「美少年の定義とはどのようなものですか?」
「……なんやて?」
 思わず聞き返したくもなる。からの問いは永倉が想定していたそのどれとも違っていたどころか、大きく掛け離れたものだったからだ。
 するとは質問の内容自体ではなく、自分の言い方が悪かったと思ったようだった。
「沖田さんがよく美少年だという噂をされているので」
「ああ……、その事か」
 永倉は少し、探るような間を置いた。
 新選組の一番隊隊長を務める沖田の容姿についての噂はどこから湧いたかも分からないふざけた話のようで──実の所、語る相手によってはそうとも限らずむしろ慎重になるべき話であった。
 当然、相手にとっては考えるまでもない。
 この話を振ってきたという事はにも何か思惑があっての事だろうと永倉は踏んだ。だが自分にも、近藤が率いるこの新選組という組織を護る義がある。永倉はついほだされそうになる気持ちを静かに抑え、ふっと口の端を上げた。
「笑えるやろ。当の本人は否定するどころか乗り気みたいやけどな」
 するとは神妙な素振りで顎に手をやり俯く。
「そうですよね、沖田さんが少年というのにはさすがに無理があります」
 の言葉に違和感を感じた永倉は思わず眉を上げる。
「ちょお待ち。噂の中身で引っかかるのはそこだけか」
「えっ、そこというのは……どこですか?」
 が弾かれたように顔を上げた先で永倉は渋い表情を浮かべた。本来、この噂に関しては彼も深くは触れずに軽く流しておきたい所なのだが。
「少年っちゅうところ意外にも、思いっきり的外れな部分があるやろ」
「それは顔立ちについての事ですか」
 なんだ分かっていたのかと、永倉はの言葉に拍子抜けした。実際に今、彼らが知る沖田という人物を目の当たりにした者であれば、巷を賑やかしている噂が根も葉もないものである事は容易に判断出来るはずなのだ。
 だがはおずおずと言いづらそうにその先を続けた。
「私は、その部分はあながち間違いでも無いかと思っていましたが……」
 段々と声を小さくしながら話すに永倉は驚いた表情を浮かべた。
 するとちょうどその時。屯所に続く石段からまるでこの機を図ったかのように愛刀の菊一文字を脇に揺らしゆっくりと降りてくる人物がいた。
 この時間に姿を現すという事は今まで昼寝でもしていたのだろう。その人物は大欠伸をしてからふと茶屋の前に二人の姿を見付けると、その足取りに弾むような軽快さを含み、やや速度を早めた。
「困るなぁ!二番隊隊長さんともあろうお方が、こないな場所で堂々と逢い引きされたら」
 永倉とは揃って声がした方へと顔を向ける。声の主である沖田は長椅子の前まで来て足を止め、そこに腰を降ろしている二人をからかうような含み笑いで見下ろした。
「それに、新八ちゃんみたいなごっつい男は狐ちゃんには合わんと思うで。なんせこの堅物は、そもそも女の扱いっちゅうもんからして分かっとらん」
 明らかに挑発するように言ってくる沖田に永倉は眉を顰めたが、言い返す事はなく隣のに向かって彼を親指で指し示した。
「ええか、悪い事は言わんからよう見てみい。……“これ”やで」
「あ?」
 真剣な永倉と戸惑うに対し、沖田は怪訝そうに思いっきり眉間に皺を寄せた。


 + +


 永倉が間に立ち、は改めて沖田と向かい合っていた。どういう事なのか話の流れが分からぬまま彼女にまじまじと見上げられる事となり、さすがの沖田も居心地が悪そうに首の後ろに手をやりながら顔を斜め下へと逸らす。
「なんやねんお前ら……」
 腕組みをする永倉は沖田の言葉を無視する形でに向かって声を掛けた。
「どうや?」
 は首を捻って沖田から永倉の方へと顔の向きを移した。そして、今度は先程よりも幾分か迷いなく。
「やはり私には沖田さんのお顔立ちは整っているように見えます」
 永倉が呆れた表情を浮かべる隣で沖田はの言葉に大きく目を見開いた。そのまま口角を持ち上げた彼は顔全体に愉しげな笑みを浮かべ思いっきり両腕を広げる。
「狐ちゃんっ!!」
「ひっ!?」
 沖田に突然がばっと抱きつかれたは思わず"素"に近い悲鳴を上げたが、沖田はそんな彼女の反応には構わずに感慨深げに何度も頷いていた。
「くうっ、ええ子やないかぁ〜〜!やっぱりこのワシが見込んだだけの事はあるのう!!」
 は沖田にぐりぐりと乱暴に頭を撫でられながら、すっぽりと収まった彼の腕の中で必死にもがいていた。
 永倉は短い溜息を吐く。
「この悪人面が一体どこからどう見たら整ってるように見えるんや。俺にはさっぱり分からん」
「あ゙?」
 沖田は永倉の言葉に反応すると、そちらをじろりと睨んで身体を起こした。そして相変わらずどうにか抜け出そうとしていたの動きをいとも簡単に制しながら、今度は彼女の肩に腕を回して自身の方へと引き寄せる。
「だーれが悪人面や。こちとら日夜京の町を守る新選組さまやで」
「……ふん。よう言うわ」
「ヒヒッ……新八ちゃん、まさか自分が狐ちゃんの審美眼にかなわんかったらいうて僻んどんのか?これやから色男は辛いのぉ」
 得意げにする沖田の隣で、先程よりは身動きが自由に取れるようになり落ち着いたが暫く振りに口を開く。
「永倉さんもお顔立ちは整っているかと……骨格もしっかりとされていますし丈夫そう、で」
 なぜか沖田と永倉の二人からまじまじと凝視されている事に気が付いたは思わずそこで言葉を区切った。
「あの、これはあくまで私の個人的な価値観なので」
「待った。……その“個人的な価値観”が重視しとるんは、具体的にどこや?」
 先程までの熱が一気に引いたように淡々とした様子の沖田から問われたは、彼を見上げたままほんの少しの間考えていた。それから一つ、大きく頷く。
「先程も申し上げた通り一番は骨格です。やはり人体の礎ですから」
 生き生きと語るとは対照的に、沖田は彼女からつまらなそうに顔を逸らして、小さく舌打ちをする。
「話にならんわ。こんの、変人が」
「!?」
 そんな事を最も言われたくはない相手から言われてしまったは衝撃を受けたように絶句し、助けを求めるように永倉の方へと急いで顔を向けたのだが──正確な、とまでは言わない。もしもにごくごく一般的な審美眼というものが備わっていれば、沖田の噂に関しては真っ先に違和感なりを感じる事が出来ただろうにと──永倉はやりきれない複雑な思いを抱えながら、難しい表情のまま口を紡ぐばかりであった。