「油揚げでも持ってうろついとったら、そのうち会えるんとちゃうか」
「油揚げ?それに何か意味があるんですか」
「なんや六代目。わざわざ居場所聞きに来といて、そんな事も知らんのんかい?」
 ミレニアムタワーの57階に構えられた真島組事務所。わざわざ足を運んだ東城会六代目会長である大吾に対し、立場上彼の舎弟である筈の真島は対面のソファーにふんぞり返りながら続けた。
「お前が今言話しとった情報屋の事やろが。いっぺん会うてみたい言うたやろ?」
「ええ。周りから話を聞くので、どういう人間か一目確認くらいはしておこうかと思いまして」
「人間とはちゃうで。あれは俺の可愛い可愛ーい……狐ちゃんや」
「……はい?」
 思わず真顔で聞き返した大吾に対して、真島は意味深に笑みを深めた。


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 真島に教えられた場所に行くと、確かに“狐”は容易に見つかった。
 雑多な雰囲気漂う夜の繁華街の中でも、それは特に異質な空気感を纏っていた。
 不規則な人の流れに沿って歩くパンツスーツ姿の狐面は、その身体の線から見れば恐らくは女である。擦れ違い様に何か囁く者もあれば、遠巻きに携帯等で写真を撮っている者。敢えて関わらぬようにしている者や日常として受け入れている者──しかし、それら全てに彼女自身は特に関心が無いようだった。
 黒塗りの高級車の後部座席からしばらく様子を確認した大吾は戸惑い、その眉を僅かに潜めた。
「(……成る程、真島さんのお気に入りか……)」
 それは当然、いくらか普通の相手では無いような予感はしていたが。
 大吾が車を降りて正面から近付くと、歩いて来たも黙って歩みを止めて彼を見上げた。
 サイの花屋の関係者、情報屋だ。東城会六代目の顔を知っていても不思議は無い。そして、明らかに堅気では無い雰囲気を持った大吾が現れた事で周囲からの視線も散る。面の下の表情が一切読めない相手に居心地の悪さを感じながらも、彼は話し始めた。
「うちの組が何度も世話になったらしいな。あんたとは、前から一度こういう機会を作れないかと思ってたんだ」
「需要あってのお仕事ですから。お世話になっているのはこちらの方です」
「そ、……そうか」
 思ったよりもまともであった返答と女性らしい響きのある声に、大吾は目を開いた。
 下手したらろくに話も出来ないような相手ではないかと構えていたので、思わず気が抜けてしまったのだ。
「あんた……、結構普通なんだな」
「?」
「いや、好都合だ。まともに話が出来る奴は助かる」
 どこか苦労人の気質が垣間見えるような疲労が滲む笑みを浮かべ、大吾はに名刺を差し出した。
「下のもんが出る事もあると思うが」
 大吾の言葉に頷き、改めて頭を下げながら両手で名刺を受け取ったは、自分の名刺も彼に差し出した。
 大吾は連絡先だけ簡素に書かれたそれを見て、スーツの懐に仕舞う。
「場所、どこかに移すか。あんた酒は?」
「すみません、折角なんですがお酒は……」
「ああ、そっちの好き嫌いもあるのに突然だったな。それに、真島さんのいない時に悪いか」
「……真島さん?」
「部外者が言うのも何だが……。こうしている時はあんたも意外と中身は常識人のようだし、あの人の連れ合いとあれば苦労もしていると思うが……っと、そうだ」
 すると大吾は思い出したように、手に提げていた上等な紙袋をへ差し出した。
「好きなんだろ油揚げ。口に合うかは分からねえが」
「………」
 どうやらが思っていた以上に、東城会六代目は人を信じやすい真っ直ぐな人柄であるらしかった。
 しかし彼の為にも自分の為にも、はいくつか訂正をしておきたかった。
「やはりどこか、お話出来る場所に移りませんか?」
「ん……?ああ、行くか」
 大吾が彼ら馴染みのバーであるバンタムに顔を出すと、店長はすぐ人払いをし、「closed」の看板を外に提げて来た。
 恐らくは気を遣ったのだろう。彼が酒とウーロン茶を出し店の奥に姿を消すと、BGMの掛かる店内には大吾とだけになる。
 部下は外に待たせたからか、二人きりになってみると大吾は先程の六代目としての彼より、話し易く気の良い青年に感じられた。
「は……?油揚げが好きだから狐なんじゃないのか?」
「なぜか最近は良くいただくので、前より好きですけど……むしろ、どなたからの話か聞いてもいいですか?」
「………真島さんだ」
 答える前、既に騙されたという事に思い当たったのか、大吾はカウンターに肘を突いて片手で顔を覆った。
 その顔が少し赤いのは酒が入っているからかもしれない。
「ちょっと待て。それならあんたが真島さんの」
「本当に違います!」
 こちらはウーロン茶なので酔う筈もないが今日出会って初めて感情露に言うと、大吾は少しだけ驚いた表情を見せた。
 彼は笑って、グラスに手を掛ける。
「苦労してるなあんたも」
「六代目のご苦労には敵わないと思います」
「大吾でいいぜ。これから仕事を頼む機会も増えると思うが……そうだ。確か、真島さんには狐って呼ばれてたな」
「名前はです」
 が名を答えると、僅かに目を開いた大吾は一拍間を置いて聞き返す。
「……教えていいのか?」
「真島さんには言わないで下さいね。二人の時は名前で良いです」
「はは、そいつはいい口説き文句だ。そうだな、俺達だってあの人にそれくらいの秘密は持ったって良い」
 そう言った大吾がこちらの空いたグラスに酒瓶を差し出してきたので、も少しだけ貰う事にした。


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 数日後。他に組員の姿が無い本部の廊下で会うなり、真島はニタニタと近寄り大吾の肩を無理矢理抱えた。
「新しいオンナが出来たそうやないかい?忙しい振りしてやる事やっとるのぉ」
「え?は?」
 遠目から見ればまさか東城会の六代目とその幹部が、昼間からこう浮かれた話をしているとは思うまい。
 困惑する大吾の腹を「照れんでええがな!」と拳でわりと強めにどつき、真島は離れた。大吾は低く呻き腹を押さえる。
「お前んとこのがこそこそ話とったで〜?六代目が最近よく決まったオンナと連絡取っとるってな」
「最近……あ。ああ、そうですね……」
「どこの飲み屋や?」
「いえ、違いますよ。飲み屋の女じゃありませんし、よくメシに行くだけでそういう相手でも無いです」
「六代目ともあろうもんが、メシだけ食うてはいサヨナラっちゅう寂しい話も無いやろがぁ〜」
 真島はどすどすと肩でぶつかってくるが、なにせ力が強く声も大きい。
 恐らく実際はオンナがどうという話に興味は無くとも、困惑する様を楽しまれているのだろう。分かっていても、彼のペースを相手に態勢を立て直すのは至難の技だった。
「そないええオンナなんか?えぇ?オナマエくらい、教えて貰いたいもんやがの」
「名前は……その、真島さんこの話はこれくらいで」
「なんや、つまらん」
 そう心からつまらなそうに吐き捨てて、真島はようやく大吾から離れた。
 その間にも彼の肩越し、曲がり角から現れた組員は二人の姿を見て慌てて引き返す。
「こうなったら、狐ちゃんに調べさせたろか」
「本当にあの情報屋が気に入ってるみたいですね」
「おお。ああしてツラ隠しとっても分かりやすい……ま、六代目と桐生ちゃんと同じ正直者やからな」
 の話が出た途端上機嫌そうに。擦れ違い様に手の甲でぱしっと大吾の肩を叩いて、真島は歩いていった。
その姿が曲がり角の先に消える前、大吾は振り返って声を掛ける。
「もし、情報屋に手出す男がいたらどうしますか?」
「ぶち殺したるわ」
 それこそ、愚問だとでも言うように。
 一瞬凶悪に鋭い殺気を発しながら答えると、やがて真島はいつもの笑みを浮かべ軽く片手を挙げて去っていった。
 その場に残された大吾は、不覚にも緊張し速度を速めた自身の鼓動を感じながら、一人苦笑する。
「えらい秘密を持っちまったもんだな……」
 取り敢えず、部下の近くで「」と言う名を口にするのはしばらく控えようかと思うくらいには。