「じゃあね、ちゃん。気を付けて」
「うん。またね」
 駅近くで友人達と別れると、はつい先程までの余韻に表情を緩めながら、軽い足取りで歩き出した。
 朝からの講義が休講となり、そこから再集合したカラオケ店にずっと籠もっていたため、まだ時間としては昼の14時くらいだ。バイトや他の予定がある者もいるとの事で早めの解散にはなったが、これまであまり外で遊ぶ機会の少なかったにとって、気さくに誘ってくれる友人らとの付き合いは何もかも新鮮で刺激的であった。
 そんな事を思い返しながらふと、は通り掛かった店のウインドウに映る自身の姿を見て表情を強張らせる。
 赤茶のジャケットに青のリボン、チェックのプリーツスカート。今の彼女は、母校である聖ハイソ女学院の制服姿だったのだ。
 誰かが最初に制服姿で集まる事を提案し、その場の勢いと懐かしさで皆がそれに乗る流れとなった。その事を自身すっかり忘れていたのである。
「(は、早く帰って着替えなくちゃ)」
 複数人でいた時はそれほど気にする事も無かったが、こうして一人になると途端に心細く、何かとてつもなく悪い事をしているような気さえしてくる。つい最近まではそうある事が当然だったというのに、制服というのは不思議なものだ。
 時間帯もあって他に制服姿の学生が少ないという事が、の意識を余計に駆り立てる。だから──、向こうから退屈そうに歩いてくるブレザー姿の人物にいち早く気が付くことができたのは、そういう理由もあったのかもしれない。
 相手の姿を視界に捉えるなりは素早く道を曲がって、その側にあった自動販売機の影にしゃがんで込み隠れた。自然と口元を押さえながら、ほんの少しだけ覗くようにして、相手が通り過ぎていくのを待つ。
 その姿がすっかり見えなくなるまで、時間にしては数秒だっただろうか。はようやく訪れた安堵感から息を吐いた。
「大丈夫ですか?」
 頭上から降る声に、は自然と顔を上げた。
「へぇ……。はじめは隠れんぼでもしているのかなと思ったんですが、これは……」
 そんな、どうして、これは違う。
 頭の中で言葉が渋滞し、口をパクパクと動かすしか出来ないに、先程確かに一度は通り過ぎていったはずの人物──花沢輝気は、彼女の姿をまじまじと見つめてから頷くと、満面の笑顔で声を掛けた。
「その制服、懐かしいですね」


 + +


「さっきまでは友達といたの。だから、私だけがこういう事をしてるってわけじゃなくて」
「じ、事情は分かりましたから。落ち着いてください」
 の周囲には彼女より年齢は下であっても、所謂しっかり者タイプの男の子が多かった。中でも花沢に関しては、何らかの紆余曲折を経て、一山越えたかのような落ち着きさえ感じられる。そんな彼から優しく宥められていると、恥ずかしいやら情けないやらで、はますます顔の熱を上げていった。
「そういう遊びがあるっていうのは僕も聞いた事がありますよ。それにカラオケだったら元々そういうコスプレを置いてる店もあるんじゃないかな」
「そう……、なの?」
 花沢の言葉でいくらか落ち着いてきたは、しかしそこで一番大事な事を思い出してハッとした。
「あの、花沢君。この事は他の人には内緒にしてくれないかな。私、何でもするから」
 がそこまで恥ずかしがる事は意外だったのか花沢は一瞬だけ目を開くと、そこから面白がるように顎に手をやった。
「そんな事言っちゃっていいんですか?僕は影山君達とは違って、さんに無茶なお願いをするかもしれませんよ」
「お手柔らかに……」
「それじゃあ、今から僕とデートして下さい」
 迷う事なくさらりと続けた花沢に、今度はが驚いた表情をみせた。
「え……こ、この格好のまま……?」
「はい、出来れば。それと、プリクラ撮りに行きませんか」
「プリクラ……!?」
 どう考えても証拠が現物として残ってしまう事態に、花沢の意図を計りかねたは顔を青くした。ひょっとして自分は今脅されているのだろうかと、彼女が不安を感じ始めたところで彼は付け足すように続ける。
「悪いようにはしません……って、これじゃますます胡散臭いか。実は僕、たまに女の子から告白してもらう事があるんですけど……」
 花沢は「たまに」と言ったが、それが謙遜である事をは知っていた。茂夫や霊幻らから話を聞くに、それにの目から実際に見ていても、彼は「たまに」どころではなくモテる部類だ。
「最近は“今は特定の相手と付き合う気が無い”っていうのが、特に他校なのにわざわざ声を掛けてくれるような積極的な女の子には通用しなくなってるんですよね。そうなると、僕も心苦しくて」
「モテる男の子も大変だね……」
 花沢はの言葉に苦笑し、続けた。
「なので、これからは“もう付き合ってる人がいる”っていう理由に変更しようかと。大丈夫です、さんの顔は相手に見せないようにしますから」
「まさかプリクラって、そういう風に使うって事?」
「言葉だけより説得力が出ると思いませんか?それに聖ハイソ女学院だったら生徒数も多いし、特定される心配も無いと思うんですよね」
 脅しに使われるよりは当然マシだが、それでもには迷うところがあった。
「でも、その子達を騙しちゃう事になるのは申し訳無いような」
「う〜ん、僕が素直に答えると“話した事も無い子に、今の時点で人間的な興味も持てないから”って事になってしまうんですが、大丈夫でしょうか」
「花沢君、ゲームセンターならここに来る途中に見掛けたよ」
 全く悪気の無い顔でそんな事を言われては、意を決して彼に告白してきた女の子達も立ち直れないだろう。同性として彼女達側の気持ちになってしまったは、少しでも被害を減らす事が出来るならと、花沢の申し出を受ける事にした。
 ゲームセンターに向かう為、にとっては元来た道を辿る。先程よりも恥ずかしさが軽減しているのは、おそらく今は隣に制服姿の花沢がいてくれているからだろう。
「そう言えば、学校はもう終わり?早かったんだね」
「ええ。天気も良いし、僕はサボ」
 すると何やら途中まで言い掛けた花沢は、そこで言葉をぐっと飲み込むように区切る。が首を傾げると、彼はまた何事も無かったかのように続けた。
「サボ、テンの世話をしていたら、棘が指に刺さってしまって。今日は早退してきたんですよ」
「棘が!?大丈夫なの?」
「ええ、もう平気です」
 ゲームセンターに着いて自動ドアをくぐると、途端賑やかな音が耳に飛び込んできた。正直あまり慣れていないにとっては騒がしいとさえ感じるものだったが、そこは花沢も同じ感想だったようで、彼は眉をやや顰めながら「撮ったら出ましょう」とに耳打ちするように声を掛けた。
 さほど広くない店内では、すぐに目当てのものが見つかった。何台か並べられている機械の一番手前のカーテンを捲って中に入ると、その独特な半密閉空間にはそわそわとし始める。
「私こういうのあまり分からなくて」
「僕もそこまで詳しいわけじゃないので大丈夫ですよ。えっと……、二人用モードとカップルモードがありますね」
「何が違うの?」
 早速聞き慣れない単語が出てきて、は花沢と並んで一緒に画面を覗き込んだ。
「カップルモードは、男側の“盛り”が控えめになるみたいです。ほら、目が大きくなったりするやつがあるじゃないですか。まあそこはどちらを選んでも調整出来るみたいですけど……」
「それじゃあ二人用の、この普通のやつでいいんじゃないかな」
「あれ?今の僕達ってカップルじゃなかったんですか?」
 悪戯っぽくそう言った花沢は、戸惑うの返事を聞く前に“カップルモード”で手早く操作を進めてしまった。
 そこからは元々が詳しくない事もあって、撮影も花沢にリードされるがままとなった。途中機械の方からもっとくっついて〜など指示された時は動揺したが、花沢が無理にやる必要は無いんですよと笑いながら言ってくれたため、仕上がりはまるで付き合いたてのような初々しさのある自然なツーショットとなった。
 機械から出てきたプリクラを手に、は感心したような声を上げる。目が大きく、肌は白く、体は細く。これでも控えめの設定にはしたつもりだが、そこに写っているのはまるで自分ではないようだった。
「これは騙されちゃうかも……」
さんは普段とそんなにギャップ無いですよ」
「相当あるよ!……あ、でもこれぐらい私って分からない方が、今回の目的には合ってたかもしれないね」
「目的?」
 花沢がきょとんとした顔で聞き返してきたので、は不思議に思いながら彼にプリクラを差し出した。
「説得力の為なんでしょ?」
「!あ、ああ〜……、そうでした。うん、これなら皆納得してくれると思います」
「──おい、お前黒酢中か?」
 花沢の違和感ある態度を掻き消すかのように、背後から声を掛けてきた者達がいた。
 花沢が振り向くと、彼とは違う制服を着た四人組がニタニタと挑発的な笑みを浮かべてそこに立っていた。明らかにガラの悪そうな相手の視線から自然とを隠すように、彼は改めてそちらに身体を向ける。そして特に怯んだ様子も無ければ、むしろ人当たりよさげに問い返した。
「ゴメン。誰だっけ」
「ハァ〜〜!?テメェの事なんて知らねぇよ、舐めた口ききやがって」
「黒酢中のくせに何女とイチャついてんだ、あぁ!?」
「なるほどなるほど……」
 はじめから理由など無い。特に縄張り意識の強いこのような手合いが、他校生というだけでイチャモンを付けたがる例のやつである。
 花沢はやれやれと肩を竦めると、今にも彼を庇って前に出ようかとしているの気配を察して、それを制するかのように再び彼女の方へと顔を向けた。
さんは先に店の外で待っていて下さい。途中の植え込みの近くにベンチがありましたよね」
「花沢君」
「大丈夫ですよ。僕もすぐ行きます」
 は何か言いたげだったが、彼女を心配させまいとする花沢の笑みにぐっと言葉を飲んで、彼に従った。
「さてと……、キミ達その制服は味噌中だろ。僕も人の事は言えた義理じゃないけど、まだこんな事してるのかい?」
「何だコイツ、ムカつくな」
 当然話が通じるはずも無く、一際背丈の高さが目立っていた相手が花沢の胸ぐらを掴み上がりに掛かった。──瞬間、その身体はまるで投げ技でも掛けられたかのように宙を一回転し、ビタンと床に落ちる。
 気が付けば床に大の字になって天井を見上げていた本人と、それを見ていた周囲も何が起こったのか分からずに「は……?」と困惑したような空気が流れた。するとその内の一人がハッとしたように目を開き、花沢を指差す。
「お、おい……!こいつ、どこかで見た顔だと思ったらひょっとして黒酢中の裏番じゃねえか!?」
「何ぃ!?塩中の裏番白Tポイズンと伝説の死闘を繰り広げたという、あの……」
「か、髪が生えてるから分からなかった……!!」
 髪という単語に一瞬ピクッと真顔になった後、花沢再びそれまでの調子に戻って頭を掻いた。
「あー……どうあってもキミ達がそういうノリでくるなら、僕もそちらのやり方に合わせるけど」
 既に花沢の正体を知ってしまった相手はその場から逃げ出そうとするが、穏やかな物腰からも重たい圧を感じて、じりじりと後退りするのが精一杯だった。
 花沢はそんな彼らに真っ直ぐ眼差しを向けたまま、ぽつりと口を開くと。
「……あんな顔させやがって」
 呟きの後、ギッ!!と鋭く目付きを変えた。
「テメェら全員、これから俺にのされる準備は出来てんだろうなぁ!!あァ!?」
 髪の毛をぶわっと逆立てるかのように、纏う空気が豹変する。相手が揃って上げた情けない悲鳴は、店内の騒がしいBGMに掻き消された。


 + +


 花沢に言われたベンチで待ちながら、は自身のスマホに視線落としていた。しばらくして、そこに歩み寄ってくる彼の姿に気が付くと、立ち上がって駆け寄る。
「花沢君!」
「すみません。お待たせしました」
 先程を送り出した時と変わらぬ様子で言う花沢に、は一先ず安堵の息を吐いた。
「大丈夫?喧嘩になったりしなかった?」
「ああ!それが話してみると結構いい人達で、すぐに分かってくれたので心配いりませんよ」
 明るく話す花沢に、は目を丸くした。
「そ、そうなの……?」
「ええ。人は見かけによりませんね」
 僕達も行きましょう、と。花沢から促されると、はまだいくらかの違和感や疑問はあったものの彼に従う事にした。
 花沢から分けてもらったプリクラを、はじっと見つめる。何か考え込むような彼女の横顔に、花沢は少し気まずそうに声を掛けた。
「やっぱり、調子に乗って無理なお願いしちゃいましたよね……」
「!あ、そうじゃないの。この制服を着てプリクラを撮ったりする事なんて無いと思ってたから、不思議で」
 ほんの少し前。だけど、もう随分と前の事のように感じてしまうあの頃と比べて、やや大人びた自分がそこに写っていた。聖ハイソ女学院はお嬢様学校と言われてはいるが、友人の中には派手に遊んでいる子もいた。だって、そんな彼女らに憧れがなかったわけではないのだ。
 眼鏡を外して髪を下ろし、顔には少しメイクをして。そして、他校の制服を着た男の子と一緒に──あの頃の密かな願望が思いもよらぬ形で叶ったようで、はどこかくすぐったいような気持ちでいた。いや、おそらくは嬉しかったのだと思う。
 そんな彼女の話を聞くと、花沢は瞳を細めて笑う。
「フフ、それじゃあ思い切ってお願いして良かったかな。そうなると当時も声掛けておくべきでしたね」
「そう言えば、よく私って気が付いたね。一度は通り過ぎたかなと思ったんだけど……、それも何かの超能力だったりする?」
「まさか。超能力なんて無くても、僕がさんを見間違うはずありませんよ」


 を家の前まで送り届けた花沢は、彼女の姿が見えなくなるとそれまで振っていた手を静かに降ろした。そして今度はそれを自身の口元へと移動し、くるりと踵を返す。
「(まずいな……最後の方、相当キザな事を言ってしまった気がする……)」
 顔の半分を手で覆うようにしているものの、その表情は先程までの余裕めいたものとは違い、真剣そのものであった。
 計算尽くと表現されるのは心外だが、目的の為に努力を重ねる事は、花沢にとって当然の事であった。次回に活かす為の自己分析と反省は大切である。
「うーん、超能力に掛けて返したのはやり過ぎだったような……いや、でも会話の流れもあったしな……」
「あれ、花沢君」
「──やあ。影山兄弟じゃないか」
 しかし周囲にそんな素振りは見せもせず──と二人だけの秘密をポケットに隠しながら──花沢は、正面から歩いてきた茂夫と律に、いつも通りの爽やかな笑みを向けるのであった。