普段であれば子供の声で賑わっているはずの、団地内の小さな公園。霊幻と芹沢が立入禁止のロープを跨いで入るとそこは閑散としており、夕暮れに染まる遊具だけが物寂しげに佇んでいた。遠くから下校のチャイムが聞こえてくると、霊幻は敷地の中心に立って腕時計に目をやる。
「言われてた時間はそろそろか。どうだ、芹沢」
「はい。今のところは何も」
 今回は、この公園に現れる小さな子供の霊を調査して欲しいという依頼であった。
 特にこれといった危害を加えるわけでもないが、知らず一緒に遊んでいた子供達がふいに降り出した雨にも濡れなかった相手の違和感に気が付いてから、怖がって近寄らなくなってしまったのだという。
 芹沢は眉根を寄せて、頭を掻いた。
「でも、何もしてないのに除霊してしまうのは少し可哀想ですね」
「仕方がないだろ。可哀想って話ならこの団地の子供達だって、遊び場がひとつ無くなっ……あれ?」
「霊幻さん?」
 突然忙しく辺りを見渡し始めた霊幻は、みるみる目を見開きながらテンション高く声を上げた。
「おー!何か見覚えあると思ったら俺ここ来たことあったわ。昔はさっきのバス停近くにスーパーがあってさ、親父の運転でたまに遠出して来てたんだよな」
「へえ。それじゃあ結構長い公園なんですね」
「でもその頃は遊具なんて鉄棒くらいしか無かったからなあ。そう言えば俺はそこの砂場でミニカーを」
 そう言いながら指差した霊幻がピタと動きを止める。
 先程まで無人だったはずの砂場に、彼らに小さな背を向けて子供が一人しゃがみ込んでいたのだ。全体的に靄がかったような存在感の希薄さから、目的の子供の霊である事は疑いようがない。一瞬そちらを指差したまま固まってしまった霊幻に対して、芹沢は落ち着いていた。
「あ。出たみたいですね」
「えっ、まさか俺にも見え……」
「はい?」
「!い、いや。……ゴホン、それじゃあ接触してみるか」
 二人でその背後に立つと、子供も彼らの存在に気が付いたようだった。
 無防備な振る舞いに、霊幻の頭には先程芹沢に告げられた言葉が過る。しかし彼は依頼を受けた立場としてその同情心を心の奥へと押しやると、気を取り直して声を掛けた。
「よう。ちょっといい──」
 振り返った子供と視線を合わせた霊幻は思わず息を飲んだ。
 砂場にしゃがみ込んでいたのは、幼い頃の霊幻であった。思い切り見覚えある体操服に身を包み、突然声を掛けてきた大人に怪しむような眼差しを送る小さな己を前に、彼は固まってしまう。
「えっと……」
 突然動きを止めてしまった上司と、今回の除霊対象である霊とを見比べて、芹沢は困惑する。
 部下として、こういう場合にはどんな行動を取るのが最善なのか。彼はこれまでの流れを思い返す。
「それ……じゃあ、除霊しちゃいますね?」
「ばっ……、んないきなりだと可哀想だろ!」
「ス、スミマセン!!」
 いつの間にか方針が変わったらしい上司に、芹沢は慌てて謝罪を入れた。
 そうして霊幻が肩で息をしながら再び視線を下げると、当然状況が分かっていないらしい小霊幻はのんきに鼻などほじっていた。


 + +


 あらかじめ依頼主から聞いていた情報では特定の時間や場所にのみ現れるものかと思われたが、なんと事務所まで連れ帰ってみてからその翌日となる今まで、小霊幻はまるで普通の子供のように過ごしていた。
 紙とペンを渡してみると当時に流行ったヒーローのようなものをずっとぐるぐると描き続けている。その様子を、エクボは周囲を旋回しながら観察していた。
「へ〜、生意気にも物が掴めるんだなコイツ。霊力的には俺様が息吹きかけりゃ消えそうな雑魚なのに。試してやろうか?」
「おい。絶対止めろよ」
 エクボにはそう言いつつも、霊幻はここから一体どうしたものかと悩んでいた。
 あのまま祓うのも気が進まなかった為に連れてきてしまったが、霊は霊だ。エクボの分析だと生霊の一種だろうという事だったが、なぜそんな事になっているのか当の本人である霊幻には心当たりも無い。
「お前も霊との接触だけはしてきてるから、その影響じゃねーか?いわゆる霊障の一種ってやつだな」
「本当にこのまま何もしなくても消えるんだろうな」
「……さあ。ただこの程度のド低級霊なら濡れたティッシュの方が頑丈なくらいだろうし、別に放っておいてもいいんじゃね」
「何か腹立つ言い方だな……」
 小霊幻は自分からは話さなかったが、こちらの声は聞こえているようで、今も手を止めて彼らの会話を聞いているようにみえた。その時、事務所の扉がガチャと開く音がした。いち早くぴくっと反応した小霊幻はソファーから飛び降りると、そちらに向かって駆け出す。
「あっ、コラ!勝手に出るんじゃない!」
「──わ、本当に小さい先生ですね」
 頭上から降ってきた声に小霊幻が立ち止まって顔を上げると、そこにいたのはと律であった。二人の姿を見て、霊幻は安堵の息を吐く。
。思ったより早かったな」
「クレヨンと粘土買ってきましたよ。おやつとかも必要でしたか?」
「いいよどうせ食えないし。おー、律も来てくれたのか」
「ええ、まあ。兄さんは部活があるので代わりに……」
 そう言いながら律は視線を下げた。
 今小霊幻は、彼と視線を合わせるの事を至近距離から興味深げに見返している。その様子に、律は眉をピクッと動かすと。
「除霊すればいいんですよね?」
「待て待て待て」
 さっさと手をかざして終わらそうとする律を、霊幻が制止する。しかし律は納得がいかずに首を傾げた。
「どうしてですか?別に霊幻さん本人には影響ないんでしょう」
「いや、それでも何となく嫌だろ」
「律君、この子悪い事はしてないみたいだし……」
 姿勢を戻したからもそう声を掛けられると、律は眉尻を下げて手を引いた。
「冗談ですよ。様子を見るように言われて来たのに、突然そんな事するはずがないじゃないですか」
「そのわりに、前に俺様を祓おうとした時と同じ目をしてなかったか?」
 取り敢えず再びソファーに座らせると、小霊幻はが買い足した遊び道具で遊び始めた。懸命に粘土を捏ねる様子を、はその隣からそっと覗く。
「何を作ってるんでしょうか」
「あー……怪獣とかじゃねえか、多分」
 向かいのソファーに霊幻と並ぶ律は、先程よりも軟化した雰囲気で様子を窺っていた。
「へえ、思ったよりおとなしいんだな。霊幻さん、子供の頃の方が落ち着いてたんですね」
「何か微妙に引っ掛かるが……、確かに一人遊びは結構してたか。まあただ、こいつが話せる状態だともう少しやかましかった可能性はある」
「こっちの言葉というか、音は聞こえてるんでしたよね」
 霊幻に確認してから、律は前のめりに身体を倒して、心持ち優しげな声色で声を掛ける。
「ねえ。何作ってるの?」
 すると小霊幻は律の顔をチラ……と窺うも、またすぐ作業に戻ってしまう。残された律はしばらくその状態のまま固まっていたが、やがてすっと姿勢を戻すと、小霊幻を指差しながら。
「ちょっと」
「お、おかしいなぁ〜?ご近所さんには愛嬌のある新隆君で評判だったような気がするんだが」
 律からの冷ややかなクレームに、瞳を泳がせて気まずそうにする霊幻。そんな彼の言葉を聞いたは、思い付いたように声を上げた。
「新隆君って呼んだ方がいいんですかね?」
「「え」」
 それに霊幻と律が声を合わせて反応すると、はハッとして付け加える。
「区別出来た方がいいかなと思ったんですが、やっぱり馴れ馴れしいですか」
「い、いや、そういうのは別に……」
「あ。ほら、反応してくれてます。やっぱり呼ばれ慣れた名前の方が分かるんですよ」
 霊幻は腕組みをし平静を装いながらも、今の自分でさえ呼ばれた事の無い下の名前呼びが思いもよらず解禁された事に、若干動揺をみせていた。
「新隆君は怪獣が好きなのかな?歯がギザギザしててかっこいいね」
「これは歯じゃなくて牙だとよ」
「!エクボ、俺が、というかそいつが何言ってるか分かるのか?」
「自分で音にする事は出来ねえみたいだけどな。ふんふん、なになに……」
 言われてみると、小霊幻は口を動かしはしなかったが、何か伝えようとしているようにもみえた。それを聞き取るように近付いてエクボが頷く。
「お前達は誰なのかって」
「今更……、霊幻さんにしては危機感が薄いですね」
「正確には霊幻の形を取っただけで、あそこらへんに集まってた子供の思念体の集まりなのかもな。中でもこいつの成分が強めだったって事だろ」
 すると霊幻は少し考えてから口を開いた。
「他に言いようも無いし、大人になったお前だよって事でいいだろ」
「それで伝わりますか」
「まあ心配するな、。俺は賢い子供だったから理解は出来なくても何となくで察するはずだ」
 得意げな霊幻の言葉をエクボがそのままゴニョゴニョと伝える。その様子を見て、律が口端を引き攣らせた。
「ええと……、気のせいか物凄く絶望してませんか」
「どういう意味だよ!?かわいくねえガキだなっ!」
 いくら実体の無い朧気な存在とはいえ、幼い子供が今にも泣き出しそうな表情をみせている様は痛々しい。は気遣って声を掛けた。
「大丈夫?」
 すると小霊幻はを見上げる。彼女が笑い掛けると、その不安げな表情がいくらか和らいだような気がした。
 今の霊幻も感情表現は豊かな方だが、そこに子供ながらのきょろんとした幼さが加わると、の目にはどうにも堪らず愛らしく映ってしまった。本人の手前なるべく失礼がないようにと思うも、つい目尻を下げてしまう。
 そんなを前にして。霊幻と律の間には、気まずい空気が漂っていた。
「やっぱり相手を見て対応してませんか?さっき僕の事は無視してましたよね」
「えーと、それはあれだ。その前にお前がいきなり除霊しようとしてたから怖かったんだろ」
「言っておきますけど、さんは僕と兄さんが小さかった頃も面倒は見てくれてましたから。子供に優しい人なんです。勘違いしないで下さい」
「分かってるよ……」
 律に応えつつ、霊幻は改めて“自分”を見る。
 その身に覚えのある表情や仕草から、何を考えているのか手に取るように分かってしまった。今は先程みせた警戒心など嘘のように、粘土細工に興味を持ってくれたを構ってくれる相手として認めて、彼女の隣にぺったりとくっついている。
「(いや、チョロすぎかこいつ。俺のガキの頃ってこんなんだったか?)」
 霊幻にとって、他人事では無いとはこの事だ。
 大人である自分はある程度を装う事もあるが、子供の自分にそんな発想は無い。霊幻は今もう一人の自分を通して、彼自身をノーガードで曝け出されていた。気分としては、幼い頃に書いた作文を目の前で読み上げられている状態に近い。
 ──分かる。分かるぞ、俺。
 自分が粘土で作った怪獣を褒めてもらって、興味を持ってもらえて嬉しいんだよな?全然知らない女の人だけど悪い人じゃなさそうだし、実はお前はそういう根のところはすげー単純だったりするから、そりゃ懐いちまうよな。今の俺にも、よく分かるよ──。
「(ただお前がそんなあからさまだと、ボロが出ちまうだろ色々とッ……!)」
 伝われという気持ちを込めて霊幻がぐっと目線に力を込めるも、当然のようにその必死な思いは届かない。だが忘れ掛けていた彼の存在には改めて気が付いたようで、何かを伝えるように粘土細工を指差す。
「ん、何だ?おいエクボ、何言ってるか通訳してくれ」
「チッ、いいように使いやがって」
 文句を言いながらもエクボは小霊幻に近付くと、先程のように彼の言葉を聞き取った。
「お前が本当に大人になった自分なら、どれだけ怪獣をうまく作れるか見せてみろだと」
「え〜、面倒くさ……。律、お前も男の子だし怪獣ぐらいは作れるだろ。別に俺じゃなくても、こいつはどうせ遊び相手が欲しいだけなんだから」
「そんな、可哀想ですよ。僕に押し付けないで作ってあげたらいいじゃないですか」
「……しゃあねえなぁ」
 霊幻は億劫そうに言いながら、まだ未開封の粘土を自信の手元に引き寄せた。取り出した四角い塊を捏ね、丸く成形しやすい状態にしていくと。
「こんなところか」
 えっ!と皆が声を上げて驚く。目にも止まらぬような早さで作品を仕上げた霊幻は、粘土板に乗った精巧な怪獣を涼しい顔ですっと押し出した。
 小霊幻にと律も同様に、今の一瞬で作り上げられたとは思えない出来栄えに目を見張った。
「先生は本当に器用ですね」
「ふっ、まぁな。出来る男の嗜みってやつだ」
「粘土怪獣が……?」
 律から疑問の声は上がったものの、霊幻は彼を見上げる幼い瞳に気が付くと、得意げに顎を持ち上げて自身を親指で指した。
「言っておくが──、俺の本気はこんなもんじゃない」
 その言葉を聞いた小霊幻の瞳は輝いていった。


 + +


「消えちまう時は案外あっさりだったな」
 エクボの呟きにと律は俯く。
 あれからしばらくして。小霊幻が姿を消してから、彼らは再び例の砂場を訪れていた。そのしんみりとした空気に耐えきれず霊幻は顔を引きつらせる。
「おーい、俺はちゃんとここにいるからな?別に消えてはいないぞ?」
「ご、ごめんなさい。でも折角仲良くなれたのに残念だなって」
「じっくりと向き合ってみたらいい子でしたね、新隆君……」
 はともかく、律までそのような事を言い出すのは霊幻にとってはやや意外であった。確かに“いい子”であったのだ。最後の方は皆が和やかな雰囲気で彼を囲んでいた。
 だからこそ、やはり。
 あの子供は、自分自身では無かったと霊幻は考える。
「ん〜……、多分このあたりだったと思うんだが……」
「やってみますね」
 律が手をかざすと、霊幻が指した箇所の砂がブワッと舞い上がった。そのままぐるぐると回り続ける小さな竜巻の中に赤い光が反射すると、霊幻は嬉しそうに指先を弾いた。
「よしっ出た!その赤いやつだ!」
 今度は逆再生を掛けたかのように、砂が地面に吸い込まれるように戻っていく。そうして最後、その上にポトリと落ちたのは汚れたミニカーの玩具であった。
 裏返しになったボディには、油性マジックの太字で「あらたか」と持ち主の名前が書かれていた。霊幻はしゃがみこみ、そのミニカーを拾い上げる。
「おー、懐かしい。当時はどれだけ探しても見つからなかったんだよな」
「さっき先生が話してくれた宝探しの事ですか?」
「ああ、こう適当な場所をシャベルで掘って埋めてだな、後でまた掘り返すだろ?──で、また埋めるわけだ」
「(昔、兄さんといとこの家に遊びに行った時にそこの犬が同じ遊びしてたな)」
 この公園周辺に漂う思念体が、たまたま砂場に長年忘れ去られていた玩具を依代に幼い頃の霊幻を形作ったのではないかというのが、今回受けた依頼における最終的な結論である。
 そのうち噂が消えれば、人々の姿も戻ってくるだろう。実害は出ておらず目撃者が僅か数名の子供達しかいなかったというのも、幸いであった。
 するとの耳元にエクボがやってきて、呆れたように話す。
「しかし、の態度はまずかったな〜。ありゃ下手すると憑かれてたぞ」
「え」
 本人より、更に驚いたように振り向いたのは霊幻と律であった。エクボは彼らのその反応を面白がるようにククと笑った。
「まさかお前ら、あれを普通のガキだと思ってたのか?霊は霊だ、悪気が無くても生きてる人間に良くない影響を与える事はあるんだぜ」
「おま、放っておいていいとか言ってたじゃねえか」
「だからその前に消してやろうかとも言っただろ。それに、っ!?」
 そこまで話して、エクボは思わずビクッと揺れた。
 律が静かに睨んできていたからだ。説明によってはと、その冷ややかな目付きが伝えていた。そんな彼に弁明するようにエクボは慌てて続ける。
「そ、それにが来るまでは本当にそういう気配は無かったんだよ。本気で危なくなってたら、俺様も止める気ではいたっつの」
「くっ、僕がいながら……さん、どこか体調が悪いところは無いですか!?」
「わ、私は大丈夫」
 苦々しい表情を浮かべた律がに詰め寄っていくその傍らで、霊幻は何か考え込んでいた。
 しかしいくら考えても同じ結論にたどり着いてしまったのだろう。彼は気まずそうにエクボを見上げる。
「なぁ、エクボ。さっき言ってたが来るまではっていうのは……」 
「そりゃあ霊幻の成分が強かったからじゃねーか?お前ガキの頃から女の趣味は変わってないん──」
「絶ッッ対!絶対あいつらの前ではそういう軽率な事は言うなよ!?いいなエクボ……!」
 キョトンと目を見開くエクボに対して、その正面で霊幻は必至な形相を浮かべていた。そして心なしか、彼の耳の先は僅かに赤くなっていた。