霊幻
「霊幻さん。ついでに、溜まってた分の郵便物も持ってきました」
「おお気がきくじゃねーか。あとは今買ってきた分の荷物片付けたらそのまま上がっていいぞ……って、なんだ、こっちは相変わらずチラシばっかか」
 芹沢から受け取った郵便物の束を受け取り、霊幻はやや落胆したように言った。それでも確認がてら目を通し、その中の一枚に目を留めた彼はおっと声を出す。
「商店街でまた福引やってるってよ」
「あれ。師匠、それってもう終わったやつじゃないですか」
 そう指摘したのは茂夫だ。
 今相談所には二人掛けのソファーに並んで座る茂夫と律、そして、正面の一人掛けにそれぞれ花沢との姿があった。
 今日一日仕事の手伝いで招集された茂夫達へのバイト代がわりに出されたパックのタコ焼きを、たまたま立ち寄ったも交えて皆でつついていたところだ。
「……あ。本当だ、よく見たら先週末で終わってるな」
「す、すみません!俺、気が付いてなくて」
「いいよ、どうせ券一枚も持ってないし。おそらく他の郵便物の下の方で潰れてたんだろ」
 申し訳無さそうに言う芹沢に、霊幻が気にするなと指で挟んだチラシをひらひら振る。
 そんなやり取りの中、一切それらが聞こえていないかのように黙々とたこ焼きを口にしていた律に、茂夫が隣から顔を覗き込んで声を掛けた。
「律は二等のやつ狙ってたんだよね。結構頑張ったのに、当たらなくて残念だったけど……」
「えっ!?ち、違うよ兄さん。僕は母さんから買い物を頼まれて、それでたまたま券が集まったってだけで」
「なんだ一等じゃなく二等狙いとはまた謙虚だな。えーっと、二等の景品は、おわっ!!」
 福引の商品を確認しようとした霊幻の手の中で、チラシがグシャッ!とまるで何者かに握り潰されたかのように丸まる。
「くぉら!今の律か!?いきなりやられると驚くだろうが!」
「別にもう福引自体は終わってるんだから構わないでしょう」
「二等はテーマパークの入場チケットみたいですよ」
 律がハッと顔を上げると、人差し指を立てた花沢が、いつの間にか霊幻の元にあったチラシを自分の頭上まで運んでいたところだった。丸まった状態から再びきれいに伸ばされたそれを器用に手にすると同時、彼は苦い表情を浮かべている律に爽やかな笑顔をニコと向ける。
「ペアチケットだね」
「……それが何か?大抵そういうものでしょう」
「まあ、確かにこの手の景品で一枚だけって事はないか。さんも見ます?」
「あ、ちょっと……!」
 咄嗟に手を伸ばした律の制止も叶わず、チラシは花沢からの手に渡った。
 そのテーマパークは、調味市から電車やバスを乗り継いで一時間程の場所にある。広い敷地内に定番の観覧車やジェットコースターなどを揃えた遊園地と、地元出身の有名な絵本作家の作品をモチーフとした自然公園も併設されており、この辺りでは幅広い世代が利用する定番のお出掛けスポットだ。
「ここ知ってる。この作家さんの絵は、うちに遊びに来てくれた律君達とも小さい頃一緒に読んだよね」
「は……、はい!懐かしいですよね」
 の言葉に、律は表情を嬉しそうに綻ばせた。
 ガタ、と音を立てて霊幻が立ち上がる。彼は自身の腕時計を確認すると、未だ買い物袋を手に提げたままの芹沢に声を掛けた。
「芹沢、そろそろ行かないと時間だぞ。あとの片付けは俺がやっとくから荷物はそこに置いていけ」
「ああっ、本当だ……!すみません、それじゃあお願いしてもいいですか」
「先生、私がやりますよ」
「いや、結構こまごましたやつもあってしまう場所が分かりにくいだろうし、は今日は客なんだから座っといてくれ。代わりに、そうだな……」
 霊幻は残る面々を見渡すと、茂夫と視線を合わせた。彼にちょいちょいと手招きされた茂夫は、自身を指差して軽く首を傾げたのだった。



 + +



 霊とか相談所には玄関から入ってすぐ左手側に小さなシンクがある。そのスペースは通路から少し窪んで、今部屋に残っている律達からは死角となっていた。
 それでも霊幻は念の為、そちらからの視界を遮るように自身の背を向けて立ち、彼についてきた茂夫に対しても無言で手をクイクイと動かしてもう少し窪みの内側に入るように指示をする。不思議そうにしながらもその通りに位置を定めた茂夫は、正面に立つ霊幻を見上げた。
「師匠。荷物ってここの棚にしまえばいいん、」
「シッ、少し声が大きい……!!」
 すかさず人差し指を口の前に立てる霊幻に、茂夫はえっと肩を跳ねさせた。
 戸惑う彼をよそに、霊幻はしきりに背後を気にする様子を見せながら、そちらに向かって聞き耳を立てる。
「……大丈夫そうだな」
 元々点けていたテレビの音に混じる、雑談の声。
 それを確認すると霊幻はふぅと息を吐き、ようやく本題に入るかのように茂夫へと向き直った。
「モブ……。いいか、ここからは俺とお前の間だけの話だ」
「わ、分かりました」
 ただの片付けにしては様子がおかしい霊幻に対し、茂夫もやや緊張気味に声を潜めて応じる。
 そんな察しの良い弟子の態度によしと頷いた霊幻は、もう一度だけ背後に視線をやってから、スーツのポケットに手を入れてそこから何かを取り出した。
「さっきお前たちが話してたのって、これの事じゃないか?」
「あっ。そうです、師匠これどうしたんで」
「シイィッ……!!」
 霊幻が手にしていたのは、先程話題に上がっていたテーマパークの入場券。それも二枚のペアチケットだった。
 自身の口元を押さえて冷や汗を掻く茂夫に、霊幻はやれやれと軽く肩を竦めてから続けた。
「俺が当てたわけじゃない、この前霊視に来た客からもらったんだよ。どこで手に入れたかは分からないが、お前達の話を聞くとその福引で当てたのかもな」
「すごく気前のいいお客さんだったんですね」
「結構遠くから来たって話だったから、こっちの地元のテーマパークの入場券なんて当てても持て余してたってのもあるんだろ。もし俺だったら金券ショップあたりに持ち込んでるけど」
「師匠。でも、どうしてこれがここだけの話なんでしょうか」
 このような偶然の出来事が起きていたのであれば、先程皆で話していた時に話題に上げてもいいものを。
 すると霊幻は手にしていたチケットを「ん」と、茂夫の方へと突き出した。
「お前から律に渡してくれ。俺からだと、多分素直には受け取らないだろうからな」
 霊幻の言葉を聞いた茂夫は、きょとんと目を開く。
「えっ。どうして……」
「あのなぁ、そこは察しろよ。律のやつ、これが欲しくて頑張ってたんだろ?」
「はい。そうだと思います」
 と言うのも影山家から近いスーパーは別にあり、母から買い物を頼まれたとしても、何か理由がなければわざわざ遠く離れた商店街まで出向く必要は無かったからだ。
 霊幻からこのチケットを受け取って渡せば、きっと律は喜ぶだろう。しかし、茂夫にはまだ疑問が残っていた。
「でも、師匠も行く予定があったんですよね」
「は、俺?」
「さっき、自分だったら金券ショップに持ち込むって話してたじゃないですか。そうしなかったって事は、師匠もテーマパークに行きたかったんじゃないかと思って」
 すると。霊幻は真っ直ぐに見上げてくる茂夫から気まずそうに視線を泳がせて、何やらゴニョゴニョと口ごもる。
「いや……そりゃ俺だって一枚だったらそうしてたが。下手にペアとか言われると、ちょっと声掛けてみるか〜って気にも、ならなくもないというか」
「……?芹沢さんとは予定が合わなかったんですか?」
「相手芹沢かよッ!!」
 くわっと目を見開いた霊幻に茂夫は肩を揺らす。そんな茂夫に対し霊幻は眉を顰めると、今度はやや身を屈めて心配するように彼を覗き込んだ。
「なぁ、モブ。ひょっとしてお前、律がここに行きたがってた理由もよく分かってないんじゃないか?」
「理由……」
「マジか……。そうなってくると、あいつのプライバシー的に俺の口から説明してもいいものか微妙なところだし」
 霊幻は少し考え込むと、やがて茂夫の肩にポンと手を置いた。
「よし、選手交代だ。今度はを呼んできてくれ。あくまで片付けの為にだぞ、自然にな」
「は、はい。分かりました」
 霊幻に頼まれた茂夫が部屋の方に戻り、しばらくしてがやって来た。
 すると説明するでもなく、は先程茂夫がそうしていたようにさっと窪みに入り込む。おや?と目を開いた霊幻に、彼女は顔を上げやや興奮したような眼差しを向けた。
「茂夫君がメールで教えてくれました」
「そ、そうか、それで少し時間が掛かってたんだな。モブも考えたじゃないか」
 ひそひそ声で言葉を交わしつつ、霊幻の意識は別のところにあった。
 茂夫よりの方が身長だって高いのだから、先程と比べて窮屈感が増すのは当然であるが。部屋の方からの視線を気にするあまりか、実際の距離以上に身を寄せ合っているような感覚があった。
 密着、とまでは言わないが。
「それがチケットですか?」
 の問い掛けでハッと我に返った霊幻は、気を取り直し応じた。
「ああ、そうだ。モブの方からも伝えちゃいると思うが、には俺の代わりにこいつを律に渡して欲しい」
「分かりました、お預かりしますね」
 がチケットに手を伸ばす。すると──、その指先が触れようかというところで、霊幻がさっと腕を高く上げた。
「……先生?」
「あー、ウソ。ほれ、今度こそ取っていいぞ」
 しかし。そう言って再度差し出されたチケットにが手を伸ばすと霊幻はまた腕を上へ。それをが追い掛ける彼も逆方向へと。そんな動きを何度か繰り返したところで、霊幻が自身の手首をガシッ!!と押さえつけた。
 力の拮抗を表すように腕をぷるぷると震わせた状態のまま、彼はに引きつった笑みをみせる。
「これは〜……、あれだな。どうやら昨日除霊を依頼された霊が少し身体に残ってるらしい」
「霊が身体に!?大丈夫なんですか」
「ああ、ほぼほぼコントロールは出来ている。念の為いつもより水分を多めに取っていればその内消えるだろ」
「そ、そうなんですか。でも、その霊はチケットを渡すのをどうして邪魔するんでしょうか」
「どうしてなんだろうな……」
 空虚めいた霊幻の呟きには、しかしどこか実感が籠もっているようでもあった。



 + +



 テーマパーク内の自然公園エリアは、賑やかな遊園地エリアと比べると比較的混雑状況も落ち着いていた。
 休憩場所として各所に設けられたベンチに座りながら、律は園内の地図が描かれたパンフレットを改めて広げる。その表情はいつもの冷静で少し大人びたものとは違い、少年らしい明るく素直なものに見えた。
「レジャーシートを持ってきたら、芝生広場でのんびりするのも良かったですね。次はそうしましょうか」
 と、そこでハッとした表情を浮かべた律は、隣のへ顔を向けて慌てた口調で続けた。
「いや、次とかは……僕が勝手に言っただけなんですけど」
「私もお弁当とか作ってきたら良かったなと思ったんだ。今度はそうしようか」
 が話すと律は一瞬ぽかんとしてから、嬉しそうに「はい」と頷いた。
「律君、アトラクションの方には行かなくていいの?私は楽しいけど、退屈なんじゃないかな」
「そんな事ないですよ、僕もあの絵本は好きだったので一度来てみたかったんです。……絵本は、まださんの家にあるんですか?」
「うん、全部とってあるよ」
「すみません!!」
「えっ」
 すると律は突然に向き直ってガバッと頭を下げた。その勢いにも驚き、思わず背筋を伸ばす。
「実はずっと記憶からは抜けてたんですけど、今回福引のポスターに絵本のイラストが書かれているのを見て思い出したんです。僕、小さい頃あの絵本に落書きしちゃいましたよね」
「……ああ!そうそう、クレヨンでね」
「あの時はさんも、さんの家の皆さんも全く怒らずに許してくれて、多分僕うちの親にも何も言ってないんですよ」
 深刻な表情で当時の事を語る律に対し、あくまでそれをかわいらしいイタズラとして記憶していたは笑いながら返す。
「そんな、いいのに。あの時は皆、律君の色使いがきれいだって褒めてたよね」
「いや、思い返すとさんの家にある絵本って装丁がすごく立派なやつだったじゃないですか。同じものを本屋で探しても見つからなかったし、あれは本来笑い話で済ませちゃいけない事だったような……」
「そんな事ないよ。私だってページの端っこ破いちゃったりしてたし」
 がフォローを続けると、それまで強張っていた律の表情がようやく和らいだ。すると今度彼はから少し視線を逸らして切り出す。
「ちなみに僕の落書きですけど、何を書いてたか覚えてたりしますか?」
「確か、線をいっぱい描いてたような気が……。家に帰ったら見てみ、」
「ま、待って下さいっ!!」
 の言葉を遮って、律がシュバッと手を伸ばした。何の事かと目を開く彼女に、律は言いづらそうにしながら小さく口を開いた。
「その、僕から言える事では無いかもしれないんですが出来れば今は見ないで欲しくて」
「そ、そう?律君が嫌なら見ないけど」
「嫌というわけではないんですけど……万が一、今冷静に見ると解読出来てしまう可能性があるので……」
 最後の方はほとんど口籠るように言葉を続けた律に、が首を傾げる──、

 ──その、背後。植え込みを挟んだベンチにて。
「モブは律の落描きって覚えてんのか?」
 そこに足組みして腰掛ける霊幻が、隣の茂夫にコソッと耳打ちしていた。
「いえ、僕も初めて聞きました。多分律が一人で遊びに行った時の話だと思います」
「それにしてもさんの家で落描きだなんて、弟君も子供の頃は結構ヤンチャしてたんだね」
 意外だなと、霊幻を挟んで反対隣の花沢から声を掛けられると、茂夫は少し考え込むような素振りをみせる。
「それが律は家でも落描きなんてほとんどした事が無くて。あ……、でも、初めてひらがなを覚えた時にあちこちに名前を書いたりした事はあったかな」
「へえ、かわいらしい話じゃないか」
 なるほどそういう事か、と。茂夫と花沢の会話を聞きながら、霊幻は、当時律がの家に残した落描きについて彼なりの結論に辿り着いていた。
 の記憶にある線のようなもの、律が口にした解読という言葉、そして先程の茂夫の証言。
「(ははぁ、おそらくラブレター的なものか……。ませたガキンチョだな)」
 そんな事を考えながら、自身の肩越しにこっそり背後を振り返る。律がに向ける表情は柔らかく、霊幻が彼にチケットを手渡した時、遠慮しながらも心底嬉しそうに礼を告げてきた彼の表情を思い出させた。
 字を覚えたての子供の頃からと考えると何年越しの想いとなるのか。そんな事を思うと、大人として後押ししてやりたい気もあるが。
「師匠、これって盗み聞きになるんじゃないですか」
「はえ!?」
 ぼんやりと考え込んでいた時に突然茂夫から声を掛けられた霊幻は、ビクッと肩を揺らした。
 茂夫に関しては今更ながらその可能性に思い当たったようで、どこか落ち着きなくしている。
「律達は気が付いてないみたいだし、あまりよくないんじゃないかなって」
「律とと違って、俺達は仕事で来ているんだぞ。人の多い所には霊が集まる……、あくまで市場調査のためだと言っただろう」
「でも声を掛けるくらい構わないんじゃ……」
「そこをきっちり分けてこそのプロだ。分かるな」

「大丈夫、兄さん。気が付いてるよ」
 霊幻が顔を上げると、いつの間にか律とがそこに立っていた。固まる一同に向けて、律は軽く溜息を吐いて続ける。
「そもそも、兄さんとは一緒に家を出たじゃないか」
「モブ……」
「す、すみません。駄目でしたか」
「いや……、俺の説明が足りてなかったな」
 そう言ってから、霊幻は律へチラと視線を送った。
「……いいのか?」
「ええ、充分です。ありがとうございます」
 嘘偽りのない、感謝の言葉だった。それでもまだ戸惑う霊幻に対し、律は更にニコッと笑顔を見せながら続ける。
「ですから、もう仕事のフリとか無理はしなくて大丈夫ですよ」
「何の事だ?俺は無理なんてしていないし、むしろ今の心持ちを表すならば余裕ですらあるわけだが」
「余裕って……だとしたら、ケチな霊幻さんがわざわざ自腹を切ってまでついてくるはずがないじゃないですか」
「誰がケチだ、誰が!くそっ、人の気も知らずにコイツは……」
 いつの間にか言い合いのようになっている二人の様子を眺めていたの肩に、横からポンと手が置かれた。
「それじゃあさんは、僕と観覧車でも乗りにいきましょうか」
「「待った!!」」
 爽やかな笑顔で誘う花沢に、霊幻と律も言い争うのを止めて、思わず声を揃えたのだった。