「お〜い」
 しばらく姿を消していた白石が、ちょうど少し遅めの昼飯にでもしようかという頃にガサガサと草木を分けながら一同の元に戻ってきた。杉元はそんな彼を渋い表情で迎える。
「おい、あんま勝手にウロウロすんなよ」
「まあまあ、おかげでいいモン見つけたぜ。ほら」
「なんだそれは」
 白石が差し出したものに対して興味深げな反応を見せるアシパの隣から、も彼女と一緒になって彼の手元を覗き込んだ。
「ああ、缶詰か」
「かんづめ?」
 戦場に出ていた杉元にとっては、それは馴染み深いものだった。聞き慣れぬ言葉に顔を見合わせる彼女らに向き直って説明をしてやる。
「要するに保存食だよ。この缶の中に食べ物が入ってるんだ」
「へへ、小便して戻ってくる途中で落ちてるのを見つけたのよ。これで品数が増えただろ?」
「いや、でもこの缶詰怪しくないか?見た感じやけに古いし、そもそも何語で書いてるのか読めねぇし……」
「なんだ、そんな事ならに任せておけ」
 アシパは自分の事のように誇らしげに言うと、の事を両手でずいと前に押し出した。しかし当人であるの方は突然の事にえっと戸惑った様子を見せる。
はレプンクルの言葉にも堪能だ。彼らと私達の間に入るのはの役割だった」
ちゃん外国語が話せるって事?」
「へえ。それじゃあここはに任せるか」
「え?ええっと」
 缶詰を手渡されたに全員の注目が集まる。はしばらく硬直してしたが、やがて覚悟を決めたようにすうっと息を吸い込んで。
「私、は……それらを外に出させて、それは、保存である。……それは、満たされた。従ってどうぞ、終わらないで注意を……」
「な、何かやけに意味深な内容だな……?」
 杉元がごくりと喉を鳴らすと、は困ったように身体を縮こませた。
「ご、ごめんなさい。私は言葉は多少話せるが、実は文字を読む方に関してはあまり」
「貸してみろ、がっかり異人」
「が、っ……!?」
 するとそれまで黙って事の成り行きを眺めていた尾形が、の背後から手を伸ばしてひょいと缶詰を取り上げた。彼の言葉に思いのほか傷付いた様子を見せるの代わりに、周りが抗議の声を上げる。
「おいっ、そんな言い方は無いだろ!がかわいそうじゃねーか!」
「杉元の言う通りだぞ!は身体は熊並みに頑丈だが中身は案外打たれ弱くて面倒くさいんだ!」
「待ったアシパちゃん、その言葉も微妙に効いてるっぽい」
 しかし尾形は騒ぐ彼らの方には目もくれずに、缶詰をぐるりと回した。
「やっぱりな。以前にこれと同じ物を見た事がある」
「!この中身は何が入ってるんだ?」
 そこでようやく気を取り直してが聞くと、尾形はしばらく彼女の顔を見つめてから。
「ああ、そうか。“読めなかった”んだったな」
 皮肉めいた笑みで、そう告げたのだった。


 + +


 完全に目の据わったが凶器にもなり得る程の大きな石を両手で振りかぶると、杉元はそれを制止するように慌てて手を伸ばした。
「待てって!そんなもんで潰したら缶の中身まで潰れちまうぞ!」
「…………」
 すると、一応は彼の言葉が届いたのか。はしばらく静止してから、ごとり……と音を立てて地面に石を置いた。その事に安堵の息を吐きつつ、他の面々は少し距離を取った場所で輪になって声を潜める。
「なあアシパさん、あれって大丈夫なのか?なんか全然喋んなくなっちゃったんだけど……」
「だから言っただろう面倒くさいって」
「つうか、ちゃんあんなでかい石どこから出したんだ……?」
 その輪の中に混ざる事も無く相変わらずしれっと別方向を向いているのは尾形だった。背中に怒気を滾らせ睨んでくる杉元の様子に気が付いても、特に素知らぬ顔で「なんだ」と短く返すだけだ。
「なんだ、じゃねえよ!があんな感じになっちまったのはどう考えてもテメェのせいだろうが」
「俺か?」
 すると尾形は心外だと言わんばかりにわざとらしく目を開く。
「そもそものきっかけは何だ。本人の意志も聞かず無理な期待をかけて追い込んだお前らにも非はあるだろう」
 そう言われてしまうと、否定しきれない所がある彼らは揃って言葉を飲み込む。各々が俯き重たげな空気となる中、杉元とアシパは互いに息を合わせたようにチラ……と目配せをし合った。
「でも、さ。缶詰を拾ってきたのは白石だし……ねぇ?」
「う、うん、そうだな……もとを正せば白石から、という所はあるな」
「待て待て!どうしてそうなる!?」
 白石が顔を青くし自身を指差した所にこほんと小さな咳払いが割って入った。一同が顔を向けると、そこには瞳にいつも通りの光を戻したが缶詰を手に立っていた。彼女は視線を泳がせ、やや気まずそうにして。
「その……、恥ずかしい所を見せてしまった。皆の力になれずに申し訳ない」
 その言葉にいち早く反応したのは、何気に気遣いの出来る男である白石だった。
ちゃんは謝る必要ねえよ!えーっと……そう、杉元達の言う通りよく分かんないもんを拾ってきた俺が悪かった!ねっ?本当ごめんなさいっ!」
 両手を合わせて勢い良く頭を下げる白石に、一瞬の間を置いてから小さく吹き出す。
「ありがとう。やっぱり白石はいいやつだな」
「え、そ、そぉ?」
「うん、いいやつ」
 するとそこで何かにピンっときたらしいアシパが白石を牽制するように指差した。
「おい、そこ。あまり鼻の下を伸ばすな」
って、はじめっからこいつにはやたらと懐いてんだよな……」
「…………」
 その杉元の呟きに、目元に暗い影をたたえる者がいた。
 再びの背後から手が伸びてきて、今度は彼女の持つ缶の蓋を指でこつんと叩く。
「魚の塩漬けだ」
 その言葉にが振り向くと、そこで彼女を見下ろす尾形と目があった。一見普段の彼と何ら変わらぬその飄々とした表情に、なぜかこちらの事を責めるような強い圧を感じて彼女は思わずたじろぐ。
「え……」
「中身は何かと聞いただろう」
 そのまま何かを待つようにじっと視線を逸らさずにいる尾形に、はごくりと喉を鳴らして。
「あ……あり、がとう、教えてくれて……」
 か細く返した言葉は、どうやらそれで正解だったらしい。やがて尾形が何も言わずに手を引くと、それまでの緊張から解き放たれたはほうっと安堵の息を吐く。
 そのやり取りに軽く首を傾げて、杉元が軍帽のつばに手をやりつつ彼女に声を掛けた。
「魚なら食べられるな。缶も膨らんでないみたいだし開けてみようぜ」
「開けるのか?必要ならさっきの石を拾ってくるぞ」
「いや、石はもう……俺はよく銃剣を使ってたかな」
 銃、という言葉の響きを聞いて、は咄嗟に背後の尾形に期待を込めた眼差しを向けた。気が付いた尾形はそれを払うかのように素っ気無く手を振る。
「俺はやらん。腕は無いが、そっちの杉元も一応銃は持っているだろう」
「悪かったな、腕が無くて……」
 杉元は尾形に舌打ちをしてから、に向かって手を伸ばした。
、貸してみ。こんな事で時間食ってても勿体無いし俺が開けるよ」
「なぁなぁ、言っておくけどそれを見つけて拾ってきたのは俺だからなっ」
「うるせーなぁ、別に取ったりしねえよ」
「──だそうだ」
 すると前に出てきた尾形がの隣に並んで、再び彼女の手から缶詰を取り上げた。彼がそれを杉元に向かって差し出すと、杉元は眉間に皺を寄せる。
「どうした、開けてくれるんだろ?」
「お前……、こいつと同じものを見た事があるって話は本当だろうな?」
「ああ」
 杉元はしばらく尾形から目を逸らさずにいたが、やがて彼の手から黙って缶詰を受け取った。それから少し距離を取って、缶詰を開けやすいようにか、地面にどさりと腰を降ろして胡座をかく。
「どこから開けるんだ」
「ん?アシパさんやってみる?」
「いい。ここで杉元がやるのを見てる」
「俺は戦争には行ってないからなぁ。随分前に商売人からくすねたやつを食べたきりだぜ」
 その賑やかな輪に混ざるため、もうずうずとしながら足を踏み出そうとした、が。
「!」
 尾形がその肩に手を置き、背後に引き戻すようにの動きを止めたのだ。

 ──“こいつと同じものを見た事があるって話は本当だろうな?”

 瞬間、先程の杉元の言葉が脳裏に浮かんだはハッとして尾形の顔を見上げたが、内心焦る彼女に対して彼はあくまでも淡々としている。
「お前はこっちだ」
「っ、離して……!」
 が尾形の手を振り払うと、彼の方はやや驚いたように目を丸くした。それから何がおかしかったのか、くつくつと笑いをこぼす。
「おいおい、何か勘違いしてるか?杉元に言った通り、俺は何も嘘は吐いちゃいないぜ」
「それじゃあ何で今私の事を……」
「お前、確か相当鼻も利くだろう」
「?それが関係あるのか」
 尾形と話す間も、は杉元達の方を気にして何度も振り返る。
 どうやら今の所おかしな事は起きていないようだ。今まさに缶詰の蓋に銃剣を突き立てようする杉元の手元をアシパと白石が覗き込んでいる。
 すると尾形はおもむろに、自身の羽織る外套を引き上げて鼻と口元を覆った。
「ほら、そろそろくるぞ。間違っても風下には立つな」
「そろそろくるって」
 一体何の事を言っているのかとが尾形に問い返す前に。
 背後からプシュッと空気が抜けるような音がした。


 + +


 が土方側のいずれかと互いの状況報告を交わす時は彼らの隠れ家か、町で会う場合もなるべく人目を避けるようにしていた。
 今回の場合は後者だったが、体格のいい牛山には民家と民家の間の狭い路地は窮屈そうだ。ただでさえ薄暗い路地だというのに、牛山の大きな身体は彼と向かい合うに対し更に色濃く影を落としていた。そのせいもあってか、数日前に起きた事の顛末を語るの顔色はあまり優れないように見えた。
「なるほど……それであいつらとは一緒じゃないのか」
「あれから何度も川に入ったからほとんど匂いは取れているのに、私が過剰に反応してしまって」
 “かんづめ”というものがあれ程までに恐ろしいものだとは。開封直後広がった強烈な発酵臭に、その場は阿鼻叫喚の騒ぎとなった。特に中から飛び出してきた汁にやられた三人の傷は深く、何度も洗っても取りきれない衣服のシミに今も悪戦苦闘している。
 は腕を持ち上げて、自身の匂いを確かめるように眉を顰めながらくんくんと鼻を鳴らした。
「自分で気が付いていないだけで、私も匂うかもしれない。不快にさせるようなら言ってくれ」
「……いや、全く。仮にそうだとしても、俺はそんな小さい事は気にしねえよ」
 するとそこできりっと表情を引き締めた牛山がの両肩に手を置いた。熱っぽい視線で見つめてくる彼に、も顔を上げて視線を合わせる。
「むしろみたいな美人がそういう匂いをさせてる時にこそ一層己をいきり勃たせられるってのが、真の場馴れした大人の男ってもんだぜ……」
「えっそれって結局今の私がくさいって事か?」
 微妙に噛み合わない会話をする二人の背後から当てつけるような大きな溜息が聞こえた。民家の壁を背に佇んでいた尾形は顔を傾け、呆れた視線を達に送る。
「お前みたいな野郎を一人で寄越すなんて、ジジイも耄碌(もうろく)したんじゃないか?」
「……ふん。そっちこそ護衛ってタマかよ」
 牛山からの指摘になぜか尾形は嬉しそうに目を大きく開いた。彼はふらりと壁から背を離しての隣まで来ると、牛山から引き離すように彼女の肩を抱く。全く身構えていなかったは、尾形の肩にこてんと自身の頭を預ける形となった。
「知らなかったか?俺は自分の女には優しいんだぜ」
「えー……」
 チョット趣味悪くない?と言わんばかりの眼差しを牛山から向けられると、は慌てて尾形の肩から頭を起こした。
「女とかではないし、優しいやつはあの“かんづめ”の中身がああいうものだって知ってたら開ける前に教える」
「?だから、お前には忠告してやっただろ」
「分かりづらかったぞ!そもそも、そういう大事な事は全員に言うべきじゃないか?」
「俺は見た事があるだけで食べた事があるとは言ってない。それに匂いの事までは聞かれなかったからな」
「っ、……も〜尾形は!尾形は、本当にもう!」
 尾形のまるで手応えの無い態度に対し、先にの方が語彙力の限界を迎えていた。
 聞けばその缶詰の件があってから、人並み以上の嗅覚のせいで拒絶反応を覚えてしまうは、こうして尾形と二人で行動する機会が多いそうだ。
「いいなぁ……」
 一方すっかりその気を削がれてしまった牛山の口からは、そんな彼らを前に思わず本心からの言葉がしみじみと漏れ出ていた。それに気が付いた尾形は、隣のを見て納得したようにしてから。
「羨ましいだろ」
 牛山から言わせれば実に憎たらしげに口角を上げ、そう得意げに言い放った。