「人だかりが出来ているな」
 兵営へ戻る道すがら、月島は前を行く鯉登がそう呟いて立ち止まった事に倣うと、横向く彼の視線の先を追った。見れば道の端、頭に傘を被った男が小さな台の上に竹串の束をじゃらじゃらと広げている。
「易者ですね。この辺りで見掛けるのは珍しいですが」
 物珍しさか、確かに鯉登の言う通りそこには見物人も含めた何人かが台を取り囲むように集まっていた。その周囲から時折感嘆の声が上がるのを聞くに、それなりに“当てて”はいるのだろう。
「あの程度、箸を使えば私でも出来そうだな」
 しかしそれを見た鯉登は皮肉るようにそう言うと、今度はふふふと得意げに笑って月島の方を見た。
「どうだ月島。私もあの箸占いで、お前が私に鶴見中尉殿の新しいお写真を持ってくるという未来を見事言い当ててやろう」
「食事時にふざけるのは行儀がよろしくないですよ。それに新しい写真もありません」
 ちょうど人が捌けて疎らになった事で鯉登達の会話は易者の方にまで届いていたようだ。易者は傘の奥にある瞳を動かすと、ぬらりと持ち上げた片手を差し向けつつ彼らに声を掛けてきた。
「これは箸では無く筮竹(ぜいちく)というものです。まあそこの色男さんもどうです。貴方、近頃想い人に避けられてお悩みなのではないですか」
 その言葉に眉を顰めたのは月島だった。
 彼とて、何もこういった類のものを信用しているわけでは無い。となると、面識の無いこちらの事情を言い当ててきた相手に対し、一定の警戒心を持つのは当然である。そしてそれは、鯉登も同じはずだ。
「鯉登少──、」
「誰の事だ。私にそういった悩みは無い」
「「え」」
 顎に手を添えながら、心底心当たりが無さそうに小首を傾げる鯉登に、月島と易者の男は思わず声を合わせた。そんな二人からの視線に対し、鯉登は不快げに眉を寄せる。
「何だ貴様ら、揃いも揃って」
「……鯉登少尉。確か店に行っても、あの娘とはしばらく直接会えていないと……」
「?急の腹痛で席を外す事くらい、誰にだってあるだろう。それがどうかしたのか」
 そう語る鯉登の瞳には一点の曇りも無く、むしろ月島の方が動揺する程だった。
 易者は納得がいかない様子で再び占いをやり直している。
「う〜ん、おかしいな……、こんなにもはっきり出る事も珍しいというのに」
「ふん……、行くぞ月島。付き合ってられん」
「いいや、少しくらいなら話を聞いていっても良いかもしれませんよ」
「月島!?」
 これが全て演技なら大したものだが、月島が判断するに易者の態度からは怪しい点は見受けられなかった。鯉登は苦い表情を見せるもとうとうこの流れに押し負けたのか、易者の前の椅子を乱暴に引き、そこに腰を降ろして半身の姿勢で相手と向き合った。
「ひとつ訂正しろ。“想い人”ではない。私達は既に互いの気持ちを確かめ合っている」
「そういう所ですね、貴方」
「……なに?」
 その間髪入れぬ指摘に対し、思わず上擦った声で聞き返す鯉登にも動じず、易者は更に占いを続ける。
「色事には確かに押しの強さも必要ですが、貴方のお相手は異性からそうされればされる程、むしろ気後れしてしまう方のようです。このままですとお二人の仲は上手くいきませんね」
「ほう。占いというのもそう馬鹿に出来たものではありませんね」
「どういう意味だッ!」
 背後で感心している月島に怒鳴ってから、鯉登はぐっと唸って目の前の易者を睨み上げた。
「……つまり、私にどうしろというのだ」
 すると易者は満を持して言ったのだった。
「先にお代をいただいてよろしいですか?」


 + +


 仕事を終えて店を出たは、やや足早に街を歩いていた。
 土方に見立てて貰った洋靴は少し踵が高くなっていて、歩く度にコツコツと音が鳴る。気が付けば殆ど駆け足になっていた彼女に合わせ、それは足元でより一層忙しない音を立てた。いつもの通り道とは違う細い路地、入り組んだ暗がりから再び別の開けた通りに出るまでを、長めのスカートの裾をはためかせながら一気に駆け抜ける。
 ずざっと地面の砂利を巻きあげてようやく立ち止まったは、一旦胸に手を当てて自身の乱れた呼吸を整えた。そして、背後へと恐る恐る視線を向ける。
「ひっ……」
 思わず息を飲んだのは、が店を出た時と寸分変わらぬ光景がそこにあったからだ。彼女から一定の距離にある建物の影、そこにひたりと背を張り付けた鯉登が、息ひとつ乱さずにじいっとこちらの様子を窺っていた。
 は何とかそれ以上の動揺を見せないよう胸元で小さく拳を握るに留めると、再び前を向いて歩き出した。
「(どうしたんだろう……。仕事中もずっと店の外にいたみたいだし……)」
 いつもであれば、もはや監視の任を隠そうともしていない鯉登は、の方が困惑する程堂々と接触を図ってきていた。対しての方はある時は仮病などの手段を取って彼から一定の距離を取ろうとしていたのだが、これまでに無いこの状況には困惑する他無い。
 そんな事を考えていると、前から来た男がの隣すれすれを通り、トンと軽く肩を掠めていった。
「!ごめんなさい」
「いや、今は俺の方、が……」
 言い掛けた男は振り向きざまにの方に目留めると、遠慮無く値踏みするように眺めた。それから身体の向きを変えたかと思うと、再び距離を詰めてくる。
 にはそんな男の態度には覚えがあった。
 異なる出自に対する敵意や嫌悪は、これまでにも幾度と無く経験してきている。身構えて相手の出方を待つに男が指先を向けた。
「こんな場所でもふらふらしてやがるのか……。よく見たらお前アイ──、ぬぉっ!!?」
「!」
 言い掛けた男の身体が横に逸れて、そのまま建物の壁へとダァンッ!!と強く叩き付けられた。
「──おかしいな、私には貴様の方がよそ見をしていたように見えたのだが……」
 そう言って男の着物を掴み上げていたのは、ほんの少し前まで離れた場所にいたはずの鯉登だった。
 彼が拳を捻るように更にぎりぎりと力を込めると、男の首元は窮屈げに締まっていく。ヒュウというか細い呼吸音と、どんどん白くなっていくその顔色に、それまで咄嗟の事に呆けてしまっていたも慌てて声を上げた。
「いい。もういい。私は何もされていないから」
 すると鯉登の視線も隣に来たの方へと自然と移されたのだ、が。
 一瞬の間の後。鯉登は目を見開くと、まるで何か見てはいけないものでも見てしまったかのように勢いよく彼女から顔を背けた。その拍子、彼から解放された男は力の入りきらない膝をがくりと落とす。手を貸そうかと近付いたの事を跳ね除けるように腕を振ると最後に彼女らを一瞥し、男はまだ呼吸も整え切らないうちにその場から離れていった。
「最後の最後まで無礼な奴め……!」
 背後から聞こえた忌々しげな呟きにが男の背から視線を外して振り向くと、そこにいた鯉登はぎくっと肩を揺らし、再び彼女から顔を逸らしてしまった。その反応に戸惑いを感じつつも、は彼に改めてしっかりと身体を向けた。
「その……、どうもありがとう。少し驚いたが……今のはきっと、私を心配して出てきてくれたんだろう」
 が礼を告げると、鯉登の視線が一瞬だけ彼女の方を向く。そして何か躊躇うように、彼の口は数度開いて閉じてを繰り返して。
「えっ、何?」
 突然の眼前に勢いよく手のひらを突き出した鯉登は、今度は明確な音をなぞるかのようにはっきりと口を動かしたかと思うと、くるりと踵を返してその場から離れていった。
 “待っていて下さい”───、と。
 には、鯉登の口がそう動いたように見えていた。そうか、なるほど。言われた通り、道の端にいそいそと寄って他の邪魔にならないように彼を待つ。
 そうしてしばらくの間、建物の隙間から見える空などを手持ち無沙汰に見上げたりしつつ。やがては、ある事に気が付きはっとした。
「(いや、そもそも私は逃げようとしていたのだし、)」


「なぜそこで、言われた通りに待っているのか……」
 その呆れ混じりの声がした先には、いつの間にか月島が立っていた。月島は彼の背後でどうだと言わんばかりに得意気に鼻から息を吐く鯉登に対し、明らかに温度差のある視線を向ける。
「まあ、確かに“いました”ね。……と言うより、私とは普通にされてもよいのでは」
「!そ……、そんな事は分かっている。それよりもさっきの話をさんに早く伝えてくれ」
 鯉登が何か促すように手を払うと、月島はその瞳を更に薄く細めてからの方へと向き直った。
「訳あって鯉登少尉殿は今貴女とは会話をする事が出来ない。本人曰く、失礼があるかもしれないがどうか気を悪くしないでほしいとの事だ」
「おい、その説明だけでは不充分だろう」
 が言葉を返す前に鯉登が口を挟んだ事で、彼女と月島は揃ってそちらに顔を向ける。鯉登は、月島に対し突き付けた指先を上下に振りながら。
「そこは先程伝えたように、さんの美しさを直接讃える事が出来ない私のもどかしさも織り交ぜつつだな」
「すみません、その部分はよく聞いていなかったもので」
「なっ……!?」
「それよりもあれは鯉登少尉に用があるのでは」
 話の矛先を転じつつ今度は月島が指先を持ち上げると、鯉登は抗議の声をぐっと飲み込み振り返った。
 彼らから少し離れた場所に数人の男達が立っていた。男達はこちらを見ながら、何やら小声で相談をしているようだ。
 その中に先程自分と肩をぶつけた男の姿を見つけたはあっと声を上げて前に出ようとしたのだが、それを制するように月島が彼女の前に腕を出した。
「見る限り──、これといった獲物は持っていないようですが。助けは必要ですか」
「不要だ」
 鯉登は男達の方へ冷めた眼差しを送りつつ、腕組みをしながら応えた。彼はそのまま、己の肘に片方の指先をとんとんと打ち付ける。
さんに伝えてくれ。二度と不穏な真似が出来ぬよう、ああいう輩には私が立場というものをよくよく分からせてやるので安心して欲しいと」
「あっ……、それでは私も。鯉登少尉に伝えて欲しい、元は私の不注意なのだからどうか危ない真似はしないでくれと」
「いや、と言うよりも……もうお互いに聞こえていますよね?」
 月島の指摘はもっともであったようで、実際彼が間に入って伝えるまでもなく鯉登はの言葉にその耳を嬉しそうにぴくぴくと反応させていた。
「……ふ、ふふふ、悪くない、何となくではあるが手応えのようなものを感じるぞ……!あの易者もなかなかやるではないか……」
 呟く鯉登は、頬を紅潮させながら地面をじゃりっと踏み鳴らし前に出る。全身から並々ならぬ気力を漲らせる彼の姿に、数では明らかな分があるはずの男達も遠くの方で思わずどよめいたのだった。



 + +


 それは鯉登なりの気遣いであったのか。彼はすっかり怖じ気づいてしまった男達をむしろ先導するように引き連れ、の目が届かぬ建物の影へと姿を消した。
「……よし、もういいだろう」
 隣から聞こえた声にが顔を上げると、月島も改めて彼女の方へと向き直った。
「お前も戻る所だったなら、今のうちに行くといい」
「え」
 月島からの意外な言葉にが戸惑った様子を見せると、その態度をどういう意味で受け取ったのか、月島は更にああと先を続けた。
「鯉登少尉殿の事なら心配はいらないぞ。あれで優秀な方だ、まともな武芸の訓練も受けていないような連中相手に遅れを取る事はまず無い」
「それは勿論安心だが……。ここで私がいなくなるのは無責任じゃないか」
 すると今度、の発言は月島にとって不可解なものであったらしく彼は露骨に眉根を顰めた。
「責任感が強いのは結構だが、あのまま後を付いてこられては流石に鬱陶しいだろう」
「鬱陶しいという訳では」
「俺を、これ以上、巻き込まないでくれ」
 凄みのある低音で言い切られたそれこそが、どうやら月島の本音のようであった。
 確かに鯉登が戻って来たとして、再び二人の間に挟まれて一番面倒な思いをするのは彼だろう。月島の迫力に、はぎこちない動作で身を引いた。
「ご……、ごめんなさい、もう、行きます……」
「そうしてくれると助かる。この辺りは似たような連中がうろついているから、一度別の通りに出てから戻った方がいいぞ」
 そう言って指先を動かして指示を出す月島にが目を開き意外そうな表情を見せると、気が付いた彼は僅かに眉を上げて動きを止めた。
「なんだ」
「貴方は……、顔は怖いが面倒見はいいな。おそらくは損な役を掴まされる事が多そうというか、色々と苦労していそうだ。顔は怖いが」
「……お前は取っつきにくそうな見た目だが、良くも悪くも他人との垣根が低いようだな。だから厄介なのに付き纏われる。自業自得だ」
「「…………」」
 対峙し、互いに思うところがあるような沈黙の後。二人はほぼ同時にくるりと踵を返し、背を向けた。
「そう言えば……。どうだった、今回無言で追い回された感想は」
「か、感想?それは……どちらかと言えば、普通にしてもらうほうがいい、かな」
「……当然そうだろうな。伝えておいてやる」
 ふっと息を漏らして笑ったような気配には思わず振り返ったが──月島の背は、既に彼女から大分離れてしまっていた。