一行は江別から下り、ふたりの殺人鬼の話を追って札幌郊外まで足を伸ばそうとしていた。
 始めは船で河川を移動し、その間食料調達の為の狩りや休憩を挟む。は少し先で森の散策をする杉元とアシパの様子を見て、静かに距離を取った。
「綺麗な女性(ひと)だ」
 すると、そこからまた離れた大樹の下──の横顔を真っ直ぐ見つめながら、房太郎が呟いた。彼と並んで休憩していた白石は眉を顰める。
 網走にいた頃から房太郎という男の事を知る白石としては、彼が仲間に加わってからその内このような事を言い出しそうな、そんな嫌な予感はしていた。このまま聞こえなかった振りをしてやり過ごそうとしていると、今度房太郎は振り返り、その瞳を興味深げに輝かせながら続ける。
「もう旦那はいるのか?アイヌには一夫多妻制もあると聞いたがそのクチかね」
「いやぁ〜……ん〜〜……?……うぅん?」
 目線を逸しながらむにゃむにゃと言い淀む白石に対し、彼に迫る房太郎に引き下がる気配は無い。すると白石は諦めたように溜息を吐き、「俺も詳しくは知らないけど」とあまり気乗りしないまま口を開いた。
 白石が言う通り、実際言葉にしてみると彼が知る事は少なかった。しかし樺太で新たに起きた出来事も考えると、下手に濁さずに伝えておいた方がいいと思ったのだ。彼から話を聞き終えた房太郎は、その内容を整理するかのように繰り返した。
「ふーん……。昔の男は戦争で死んで、その新しい男には裏切られたと」
「尾形ちゃんは別に新しい男とかじゃ……なかった、はず。そうだよな、多分……」
 白石が自信無さ気なのは、最後に尾形と言葉を交わしたがそれまで見た事が無いような、複雑に感情が入り混じった表情を見せていたからだ。
 今でもふとした瞬間に似たような表情で思い詰めている様子を見掛ける。そう考えると、愛や恋などといったものではないにせよ、彼らの間に自分達が知る由もない“何か”があったのは確かであると思わされた。それを自ら語る事の無いへの歯痒さも感じながら、白石は唇を尖らせる。
「……って、今のを聞いてどこ行くつもりだよお前は!?」
 いつの間にか、房太郎はそんな白石を置いてその場から歩き出そうとしていた。呼び止められた彼は不思議そうに足を止める。
「つまり過去色々あるにはあったが、今特定のいい相手はいないって事だろう?よく分かったよ」
「その色々があってちゃんは傷心中なの!これだから配慮の無い男は」
「だから放っておいてほしいと?俺の考えは違う」
 ザアッと風が吹き抜ける。房太郎は彼の胸元まである長い黒髪を揺らしながら、自信に満ちた様相で両手を広げた。
「きっと俺みたいな男を待っていたはずだぜ」
「ッカァ〜〜……」
 こりゃ一本取られたとばかりに、白石が自身の坊主頭をペシッと叩いた。


 + +


「なあ、少し待ってくれ」
 房太郎が声を掛けると、は一人散策を続けていた足を止めて振り返った。
「(海賊房太郎……)」
 は未だほとんど房太郎との接触は無い。
 しかし、彼がアシパに対して彼女の動揺を誘うような言葉を投げ掛けている場面は目撃していた。蒸気船での一件を経て同行する事になってから、思った以上に気さくな性格の男であるとは分かったものの、やはり腹の底は見せていないのだろうというのが彼への印象である。
 段々と歩み寄ってくる房太郎。少しでもその意図を探ろうと、も彼の顔から視線を逸らすまいとして──。
「(……でか!!)」
 目の前までやってきた房太郎の、その見上げる程の身長差に、思わず動揺してしまった。
 背丈で言えば牛山ともいい勝負だろうか。自身も決して小柄では無く、むしろ女としては長身と称される機会が多い方であったが、それでも“でかい”。
 ついまじまじと見るに、房太郎はニコ……と笑みを浮かべてみせた。
「俺達、まだあまりゆっくりとは話せていなかっただろう?これからしばらく一緒に行動するんだし、お互いの事は知っていた方がいいと思ってね」
 するとそこで、もハッと我に返って応じる。
「私は、そんなに面白い話は出来ないと思うけど」
「そうだな……。それじゃあ気になってたんだけど、とアシパちゃんは姉妹なの?」
「アシパとは同じコタンで育って妹のように思ってはいるけど、本当の姉妹ではないよ」
の家族は?」
「血の繋がりがある……という話なら、おそらくもういない。赤ん坊だった私を、アシパの父が北海道まで連れてきた」
 にとって自身の生い立ちは、敢えて話すような事でもないが、聞かれれば隠す必要も無いものだった。そもそも和人ともアイヌとも違う彼女の容姿を見れば、察しの良い相手は何か勘付く事もあるだろう。
「なるほど……。それなら、国は?故郷がどこかは分かるのかい」
「それも、この瞳の色だけでは分からないから」
 そう伏し目がちに話すの様子を、房太郎はじっと窺っていた。知らぬふりをして聞いたものの、今の話もおおよそは先程白石から聞いていた事だった。ただ、がどんな顔で語るのか──それを見た自分がどう感じるのか、実際に試してみたかったのだ。
 一方の方は、単純だとは思いつつ、自分の事を話した事で房太郎に対しての警戒心がいくらか緩んでいた。蒸気船での事を思い出し、今度は彼女から問い掛ける。
「そっちは?生まれは北海道なのか」
「ああ、俺は旭川の方さ……。もう家も家族も無いけどね。だから金塊を手に入れたら、俺は俺の国を作るんだ」
 強盗殺人、傷害、放火、窃盗──。
 今の目の前にいる男は、数多くの罪を重ねてきた犯罪者である。しかし自分の国を作るという夢を語るその言葉には嘘偽りが無く、真っ直ぐ自身の希望へと向かっていく迷いの無さには、眩ささえ感じられた。
は金塊を手に入れたらどうするの」
「私は金塊はいらない」
 眩さは、己が持たざるものへの憧憬でもある。
「貴方の夢は素敵だ。暖かい島っていうのも、何か、いい」
 は房太郎に、素直な感想を口にした。
 蒸気船で房太郎が杉元に夢を尋ねていた時。はその問いを自身にも重ね合わせて、明確な答えを持たない事に後ろめたい感情を抱いていた。本当にあるかも分からぬ所から始まった金塊の存在が目の前まで迫って来た今、たとえそれが自分には全く理解の出来ない事だとして、そこに確かな意思を持つ者の鬼気迫る覚悟の強さは目の当たりにしてきている。
 ゆえに。この僅かに生まれている沈黙は、おそらく房太郎が今の彼女の返答に落胆したからだろうとは感じた。
「ごめんなさい。でも、面白い話は出来ないって言っただろ」
「いいや、これで確信した」
 グッ──と、爪先立ちに引き上げられるような感覚。
 の腰に腕を回した房太郎は、彼女に戸惑う余地すら与えぬままその身体を自身に引き寄せた。落胆の色に染まっているかと思われたその顔は、夢を語っていた時の自信に満ちたそれのままへと迫る。
は、俺の夢に乗りな」
「えっ……」
 そして房太郎はを見つめたまま、ふっと真剣な表情になり続けた。
「この先はどうやったって殺し合いだ。善人だろうが悪人だろうが欲が強い奴が残る。俺が言わなくても、それはよく分かってるだろ」
 房太郎の言葉は、の後ろめたさを的確に掬い上げるものであった。共感出来る部分もあるが、しかし杉元達には他でも無い己自身の夢を問うていたはず。同じ口で今度は自分の夢に乗れと誘う矛盾について、は少し考えて、やがて自分なりに出した結論に納得した。
「私の分け前が欲しいって事?それなら、元より好きなように」
「俺が言ってるのはそういう事じゃない。金塊を手に入れて作る俺の国を、の国にすれば良いって話だ」
 本当の国が、故郷が分からない──。ほんの少し前に房太郎とした話を思い出し、は目を開いた。
「俺との夢は一緒だと思わないか?貴女は俺の夢を笑わなかった。きっとここで俺達が会ったのは運命なんだ」
 房太郎が語る話はあまりに壮大で、正直にはすぐ理解が出来なかった。
 しかし先程も彼に告げたように、“何かいいな”と。まるで胸に小さなあかりを灯すかのように自然と受け入れる事は出来た。するとそこにひとつ灯りがあるだけで、まだ全景は見えなくても可能性が広がったような心持ちになる。
 は小さく笑って、数度頷く。
「うん……、うん。この旅が終わったら、そういう未来があってもいいかもしれないね」
「そうだろう?」
 すると房太郎も明るい笑顔をにみせた。
 そして、再び彼女の腰に回した腕にぐっと力が込められる。密着する身体の感触にの表情がおや?と揺れた。
「何か好きな花はあるか?気候が違えば全く同じものを育てるのは難しいかもしれないが、あちらの花も色鮮やかで美しいらしいから、きっとの白い肌によく似合う」
「あ、ありがとう。でも国を作るのはきっと大変だろうし、私の事は気にしないで」
「俺との家の周りを花で囲むくらいわけないさ」
 どこか甘い眼差しを浮かべる房太郎は、更に絡めるようにの手を取って、自身の頬へと当てた。
「(あれ、いつからだろうか)」
 相手にここまでされて口説かれている事に気が付かない程、は鈍感な女ではなかった。しかし本来なら抱き寄せられた時点で気が付くべき所を、別の点に気を取られて、うっかりここまできてしまったという手遅れ感はある。
 それも房太郎なりの好意で言ってくれている事に間違いは無さそうである為、は言葉を選ぶようにして告げた。
「もし住まわせてくれるとしても、私なら野営も慣れてるし島の端っこで構わないよ」
「フフ。はこうして話してみたら見た目の雰囲気ともまた違って面白いな、カワイイ」
「いや、本当に……」
 相手がこれだけ嬉しそうにしてくれている最中に、その真正面から水を差せる者が果たしてどれだけいるのだろうか。
 房太郎の腕の中では僅かな身動ぎさえ封じられながら、これと同じような事を過去にも何度か経験してきたような、そんな既視感を抱いていた。


 + +


とは、子供をたくさん作るよ」
「エ〜〜?」
 元の場所に戻ってきた房太郎からそんな話を聞かされると、白石は思わずくすくす笑ってしまった。
 についての話を自分から聞いたとばらしてないか探るつもりが、一体何がどうなってそんな展開になっているのか。人は理解の範疇を越えた事に直面すると思わず笑ってしまう。
「俺との子供なら美形だと思わないか。勿論、自分の子供ならどうあっても可愛いもんだけどな」
って。何か呼び捨て……、エ〜〜〜?」
 快活に語る房太郎に合わせていた白石だが、ふと思い立って、彼にしては珍しく真面目な表情をみせた。
ちゃんは、結局戦争で死んだ男を忘れられないんだと思うぜ」
 すると房太郎は一度口を閉じ、おどけるように肩を竦めた。
「何も忘れる必要は無いさ」
「いや……、これまでにお前みたいな男も何人か見てきたけど、あの子の中でその恋が終わらない内はどこにも入る隙はねえよ」
 諦めなとばかりにヒラヒラと手を振る白石を見ながら、房太郎は再び口を開いた。
「お前は?」
「は?」
 白石が聞き返すと、房太郎は自身の顎に手を添えて、首を捻りながら続ける。
「どうも杉元はそういう感じじゃねえんだよなぁ〜、アシパちゃんの事もあるし……。そうなるとこれまで近くにいて、長い時間を過ごしてきたのはシライシだろ」
「えっと、何の話?」
「シライシは、これまでに手出そうとしてこなかったのかって話」
 まさかそんな事を聞かれると思っていなかった白石は、きょとんと目を見開いた。それから自分の中で改めて房太郎の言葉を反芻すると眉根を寄せて否定する。
「無い無い」
「本当かよ。女好きの脱獄王らしくねえじゃねえか」
「俺なんかが出しゃばったらすぐ喉元噛み付いてきそうな連中とずっと一緒だったんだ。どうこうする前に、命がいくつあっても足りないっつの」
 空笑いしながら答えつつ、自分でも情けない気持ちになった白石は思わずその視線を泳がせた。房太郎はそんな彼の顔色を窺って、やがてまた朗らかな笑みを浮かべる。
「そいつを聞いて安心した。俺はシライシの事も好きだからな」
「ハハハ、そいつはどう……も?」
 カランと乾いた音を立てて、房太郎が手に持っていた何かを地面に投げ捨てる。それを見た白石は、じわじわと顔色を青くしていった。
「あの……、今何捨てたの?」
「俺の見立てだと、案外お前みたいな奴がの隙に入り込んでるんじゃねえかと思ってな。そうなると全くの系統違いに取って代わるのは難しいし……」
「答えになってないよ?」
「まあまあ」
 房太郎は、小刻みに震える白石の肩にぐいっと腕を回した。
「仲良くやろうぜ。これからも一緒に……、なあシライシ」
 これだから命がいくつあっても足りないというのだ。
 囁くように言いながら目配せしてくる房太郎に、白石は引きつった笑みで返す。その足元には先端が鋭利に削られた木の枝が、意味ありげに横たわっていた。